大慈寺(横手市大森町)

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概要・歴史・観光・見所
大慈寺(横手市大森町)概要: 大慈寺は平安時代の長和2年(1013)に密教寺院として創建されました。寺号は開基者で久我大納言6代の孫とされる実方朝臣の戒名「大慈寺殿秋山月船大禅定門」に起因するものですが、久我家があの貴族や公家の久我家であれば初代 源雅実が1059〜1127年の人物の為、年代が大きく異なります。実方朝臣についても詳細は不詳、有名な藤原実方とすれば没年が長徳4年(999)なので創建年と合致しません。

その後の詳細は不詳ですがかなり衰微したようで、南北朝時代の応安2年(1369)に舟淵玄鑑和尚により再興が果たされ曹洞宗寺院として改宗開山しています。源雅実から6代目とすれば年代的に極端に無理がある訳では無い為、中興開基者が実方朝臣という説があります。又、地元には南北朝時代に高貴な人物が保呂羽山波宇志別神社に参拝の為に当地に訪れた際、川で溺死し大慈寺に埋葬されたとの伝説が残されています。舟淵玄鑑は貞治2年(1363)に安養寺(山形県山形市蔵王)を曹洞宗寺院として改宗開山した真空禅師無著妙融大和尚の弟子で、横手市大森町八沢木に巡錫した際、安養寺から持ち込んだ銀杏を植樹したと伝えられています(銀杏の木台の大銀杏は推定樹齢600年以上、樹高20m、幹周6.6m、横手市指定天然記念物)。元々は今宿にありましが、室町時代後期の永正9年(1512)に阿気村下夕谷地に、宝永元年(1704)に現在地に境内を移しています。

江戸時代に入ると藩主である佐竹氏一門である佐竹東家の領地となり大慈寺は東家の香華所として寺領50石を安堵しています。東家は特に周辺の新田開発やそれに伴う水路や堰、ため池など事業に尽力を尽くし、19代目義寿はこの地で亡くなり大慈寺の境内には墓碑があります。慈寺は町中心部から見ると川の対岸にあり、総門、山門、鐘楼門(茅葺の屋根は秋田県では少ない)と3つの門を通って本堂にたどり着きます。その為、かなり奥行きのある雰囲気があり、本堂は一段高い場所にあり敷地全体が立体的に構成されています。文政7年(1824)には菅江真澄が平鹿郡の調査の為大森町を訪れており、境内には大森町出身のアラビア太郎と呼ばれた山下太郎の位牌堂があります。

大慈寺山門は切妻、鉄板葺き、一間一戸、薬医門。総門は切妻、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、左右に仁王像安置、中央には「龍淵山」の山号額が掲げられています。鐘楼門は入母屋、茅葺、四脚楼門、外壁は花頭窓風に模り、上層部は鐘撞堂となっています。大慈寺本堂は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、佐竹家の家紋である「扇に月」が寺紋として掲げられています。秋田三十三観音霊場第11番霊場(御詠歌:後の世も現世の苦難剣の難 経味を受けて今宿の里)。山号:龍淵山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

大慈寺:写真

大慈寺
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