鳥海山: 森子大物忌神社

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森子大物忌神社・歴史・観光・見所
森子大物忌神社概要: 森子大物忌神社の創建は養老年中(717〜23年)、八乙女山に大物忌神社本社の分霊を勧請したのが始まりとされ、貞観3年(861)には社殿を造営し長く鳥海山滝沢修験の中心となりました。早くから神仏習合し龍洞寺が学頭として最盛期には33坊を擁する一大組織となり歴代領主である由利十二頭の1人滝沢氏から篤く崇敬庇護されました。戦国時代末期、当時の領主滝沢政道は最上義明に従った為、大名としての地位を確立、新たに前郷城を築いた為、慶長13年(1608)に祈願所であった龍洞寺はその城下に移されました。最上家が改易になると滝沢家も連座、本荘藩領になってからは藩主六郷氏の崇敬社となり多くの社宝が寄進されました。同じく鳥海山登拝口である矢島修験とは逆峯の本流を廻って対立関係にあり度々争いが起こり江戸時代中期頃には敗北したと伝えられています。社殿には大物忌神社の本地仏である薬師如来像を中心に両脇侍像である日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像が祀られ、近代以前は「薬師堂」と呼ばれてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され(仏像は天井裏に隠されたと思われます。)森子大物忌神社に社号を改めています。現在の拝殿、幣殿は安政3年(1856)に再建されたもので入母屋、銅板葺、桁行3間、梁間3間、屋根正面には大きな千鳥破風、1間唐破風向拝付き、細部には力士像や鳳凰、龍、獅子など精緻な彫刻が施されています。本殿は大正時代に建てられたもので3間社流造、銅板葺、森子大物忌神社本殿、拝殿、幣殿は国登録有形文化財に登録されています。又、森子大物忌神社境内一帯はは平成21年に鳥海山修験の重要な遺構の1つとして国指定史跡に指定されています。

 

森子大物忌神社
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