恵林寺(由利本荘市内黒瀬)概要: 恵林寺の創建は室町時代の明徳年間(1390〜1394年)と云われ出羽守楠正宣が開基となり、直翁呈機(石川県金沢市:大乗寺の高僧)を招いて先祖の菩提を弔ったのが始まりと伝えられています。寺号は楠正宣の戒名「恵林寺殿了円応天大居士」に因むもので、境内背後の高台には楠家の墓碑と云われる五輪塔があります。楠正宣は南北朝時代の南朝方の有力武将だった楠家一族と目され、現在でも本堂の格天井や欄間に桐の紋章が使われるなど関係性が窺え、周辺には居館だったと伝わる黒瀬館や自らが日乃神を勧請し創建したと伝わる神明社などが点在しています。
その後、楠家一族、又は大井氏一族、又は小笠原氏一族とも云われる打越氏が領主になると由利十二頭の一人として長く当地を支配し恵林寺を菩提寺としたようです。戦国時代になると打越氏は仁賀保氏と同調する動きを見せ慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでも東軍方として行動し慶長7年(1602)には常陸國行方郡新宮2千石で移封となった事で恵林寺は必然的に庇護者を失う事になります(元和9年(1623)に打越左近光隆が矢島領3千石の領主に復権すると新たな菩提寺である龍源寺を創建しています)。
その後、恵林寺は畑谷村石野に境内を移し、寛永12年(1635)に黒瀬沖村、嘉永5年(1852)に現在地に遷っています。現在の本堂はその当時のもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行10間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、花頭窓付、由利本荘市を代表とする古建築の1つで土縁など古い寺院建築の形式を今に伝えています。又、本堂左側にある観音堂には赤田の大仏を開いた是山和尚が製作したと伝わる観音像があり亀田領三十三観音霊場第8番札所となっています。山号:白鳳山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
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