勝軍山神社(大仙市南外)概要: 勝軍山神社は案内板によると「本村最南端の大森町に境する。標高340mの出羽丘陵山地であり、頂上から望する三郡の眺めは随一である。住古から山岳信仰の聖地としても有名で、中世には武士の守り本尊、摩利支天を祀り、正徳4年(1714)は、佐竹義処公が社殿を再建を機に、鹿島、香取、出雲の三大社を奉祀し、武運長久を祈り、現代は出征兵士の武運、試合の勝利、受験の合格、商いの繁昌を祈る等、近隣近在の信仰の聖地として登山者が絶えない。」とあります。
勝軍山神社の創建は奈良時代の天平宝字元年(757)、保呂羽山波宇志別神社の神官の一族と思われる守屋家によって勧請されたのが始まりと伝えられています。守屋家は物部守屋の後裔を自称する氏族で、当初は祖神である饒速日命や宇摩志麻治命、又は当地の地元神が祭られていたのかも知れません。ただし、延喜神名帳や、その他の歴史書に記載されている神社では無い為、広く知られていた存在では無かったようです。時代が下がった平安時代後期には源義家が後三年合戦の戦勝祈願を行い見事念願成就した事から勝軍山と呼ばれるようになった伝えられています。後三年合戦の戦場からはやや距離が離れている為、この逸話も微妙で、武士が篤く信仰した摩利支天は中世以降に広がった考えられる為、勝軍山神社に勧請されたのもその頃と思われます。
江戸時代に入ると久保田藩の藩主佐竹家が祈願所として庇護し、正徳4年(1714)には3代藩主佐竹義処が武運長久を祈願して社殿を造営しています。別当は代々佐藤市左衛門家が歴任し社殿の管理を行っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離により仏教色が廃されています。現在の勝軍山神社社殿は正徳4年(1714)に造営された当時のもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝には龍や獅子の精緻な彫刻が施され、外壁正面には「勝軍山」の山号額が掲げられています。
麓からは標識などがない為、地図だけではなかなか見つける事が難しいと思います。又、舗装されていない参道が続くので大型車はかなり厳しいです。神社山門は随神門で向かって右側が黒白稲荷神社、左側が三吉大神が祭っています。このように山門の中に合祀されたと思われる神々を祀っているのは隣の大森町にある釣瓶山八幡神社でも見られます。祭神:大摩利支尊天、武甕槌大神、経津主大神、八千鉾大神、天照国照大神。
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