5−民俗宗教(地蔵信仰・庚申信仰)
当時は世情だけでなく多くの生活を及ぼす様々な不安的要素がありました。その為、人々は仏教とは別の多くの民俗宗教を信仰していました。庚申信仰や地蔵信仰はその代表で、信仰者達は「講」と呼ばれる小集団を集落の中で形成していました。特に庚申信仰は、「三戸(さんし)」と呼ばれる虫が、庚申の日に人の悪い事を天上人に伝えるという信仰です。三戸は人が眠っている間に行動するとされるので、その日は講に入っている人達が集まり夜通し念仏を唱える又は語り合うといった行為をします。江戸時代では一般的に夜に人々が集まる事が禁止されていたり、集団行動も規制されていましたので、一種のレクレーションとしての楽しみも含まれていたと考えられています。そこで多くの情報交換や世間話が語られていたいたのではないでしょうか。現在では旅行会などと名称を変え信仰が残っている集落もあるそうです。又、地域差はありますが60年毎に庚申年があり、その年毎に庚申塔を建立していきます。集落の中で多くの庚申塔があるのはそれだけ歴史があるとも言え、信仰心が強いところでは、かなり大型な庚申塔が見られる所もあります。由利本荘地域では地蔵信仰が盛んで集落毎に多くの地蔵様が奉納されています。地蔵信仰では世の中「地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天」の6道に分かれて、人間が生まれ変わる時、地蔵さまがそれら道に導くとされ、豊作や安産、長寿、文殊など多くのご利益があると信じられてきました。現在でも縁日になると、地蔵堂の回りに白い旗を立て、信仰が続いている風景をよく見かける事ができます。集落の空間構成から見ると庚申信仰や地蔵信仰は次で述べる道祖神信仰と習合して一種の道祖神として捉えられ、集落境に庚申塔や地蔵堂などが備えれられるようになります。
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