潟保館(孔雀館)

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概要・歴史・観光・見所
潟保館(孔雀館)概要: 潟保館(孔雀館)は案内板によると「当所には往古から、現在の潟保家の先祖齋藤氏が居を構えて、潟の府館と称していたが、建保5年(1217)潟の保館と改称したという。諸説あるが、一説によると、応仁元年(1467)信濃の海野小太郎幸氏の子孫で同姓弥太郎が、由利十二頭のひとりとして、当地を治めるため来往した。この海野氏が斉藤氏に入婿し、潟保姓を名乗ったと伝えられる。・・・(中略)館の別名を孔雀館という。西目村史に、「館跡は、周囲およそ20町余り。山河の険に守られ本丸、2の丸、出丸あり、本丸を頭とし2の丸を嘴とし、南北の山は左右の両翼となり、西由利原の山脈はその尾となりて、その形状孔雀の如し、故に名付くという。」と記されている。・・・(後略) 西目町教育委員会」とあります。本丸からの眺望は素晴らしく当時の領内だけでなく遠く日本海まで一望出来、潟保神社を初め龍田神社、金毘羅神社などの石碑が並べられています。本丸と隣接して一段下がった処にも平場があり合わせるとかなりの広さがあります。現在では公園として整備されていますが土塁らしきものも一部見られ、郭の一角には崇敬社である八幡神社や菩提寺である宗老寺が境内を構えています。

潟保氏については一次資料が極端に少ない為、「由利十二頭記」など軍記物に頼るところが大きい氏族です。「由利十二頭記」は原本が無く、複数の写本のうち由利十二頭が由利郡に入部したのは大きく応永元年(1394)と応仁元年(1467)の2系統があり、潟保館(孔雀館)の一角に鎮座している八幡神社の由緒には応仁年間(1467〜1468年)現社地に遷座したと伝えられている事から、応仁元年(1467)に海野弥太郎が潟保館(孔雀館)の城主になった際に八幡神社が遷座したという筋書きになっているようです。

由利十二頭の多くは信濃の小笠原氏や大井氏を祖とする一方、潟保氏は海野氏を祖とするのが大きな特徴で、入部した際、当地の土豪だった斎藤氏とトラブルがあり、海野弥太郎が斎藤氏の娘を娶り入婿になり「潟保」姓を名乗る事で決着したそうです。一次資料が無い為、事実かは判りませんが、応永元年(1467)から応永2年(1468)にかけて信濃の海野氏は村上氏との抗争に敗れ大きく領地を圧迫されている事から一族の一部が由利郡に流れ着いた可能性が無いわけではありません。斎藤氏についての詳細も不詳ですが、江戸時代初期には潟保村に斎藤長左右衛門の名が見え、現在でも西目町に「斎藤」姓が見受けられる為、当地域では斎藤一族が大きな影響力を持っていた事が窺えます。

潟保氏は入部から戦国時代末期まで詳細は不詳で、明確になるのは天正16年(1588)に最上義光家臣である中山播磨守光直が潟保治部大輔宛の書状によるものが唯一となっています。それによると「最上家に豊臣秀吉の家臣金山宗洗斎が訪れ豊臣家による天下統一を穏便に行う為に協力して欲しいとの要請があった。最上家が「出羽之探題職」なので出羽国の争乱を止める役目があり「仙北干戈」を終結させたい。小野寺家に内内で取りなして欲しい。」との事。ここから察すると潟保氏は最上家と小野寺家とも比較的良好な関係を保持しある程度の信頼関係があった事が窺えます。

間接的な事象として現在、天正18年(1590)の奥州仕置きで発布されたと思われる領地の安堵状は発見されたおらず、豊臣政権下で滝沢又五郎、赤宇曾治部少輔、仁賀保兵庫頭、岩屋能登守、内越宮内少輔が「由利五人衆」と呼ばれたのに対し潟保治部大輔は含まれていない事から、上記5人より石高が低く軽視されていた事が判ります。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは潟保家の家臣である稲葉勘解由左衛門の覚書により家臣が仁賀保家に従軍した事が略確実視されている為、潟保氏は独立した領主としては認められず、仁賀保氏の与力的な立場だった事が窺えます。

慶長7年(1602)、主家となった仁賀保挙誠が常陸国武田(現在の茨城県行方市)5千石で移封になった際、潟保氏は随行せず最上家に仕官したと思われ、「最上義光分限帳」で200石4斗を安堵された潟保出雲が当主と目されています。さらに、元和8年(1622)に最上家が御家騒動で改易になると庄内藩主酒井家に仕官し同様に200石が安堵されています。

潟保館:写真

孔雀館
[付近地図:由利本荘市西目潟保]・[由利本荘市西目潟保集落]
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