神仏混合社殿の特徴
実際、神仏混淆や神仏混合などと言われる時代は長く、日本国民が多神信仰を好む民族ということもあり、1つの神社が1人の神様を祭ると事は非常に少ないと言えます。特に明治時代初期(慶応4年〜明治元年)に発令された「神仏分離令(明治新政府が神道国教化させる1つの政策で多くの文化財が消失したとされます。)」以前は別当(寺院)が神社を管理するといったことが日常的なことであり、当然神社の社殿も大きくその影響を受けています。神社山門はその影響の名残ですが、社殿自体も現在まで建替えられずその特徴を残している事があります。これらの建物は明治以前に建てられたものが多く芸術的価値というよりはその時代的背景がわかる貴重な文化遺産だと思います。
(1)花頭窓− | 窓の上部が花の頭のような形状で、特に禅宗の寺院建築に見られる様式です。通常の神社建築では見られない様式なので現在の神社の社殿に花頭窓があるとすれば明治以前の建物で禅宗の寺院と関係が深かった可能性が強いと言えます。
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(2)屋根形状− | 当然、地域性や時代背景などがありますので一概には言えませんが、基本的に神社の社殿には切り妻と入母屋の屋根形状をしている事が多く、明治以降に造られた本殿には神明造りを模した切り妻屋根がよく見られます。逆に寺院建築には寄棟や方形の屋根を採用する例が多いと言えます。(大型の寺院は逆に入母屋を採用している例が多い)現在の神社の社殿で寄棟や方形の屋根形式だと神仏混合時代の社殿をそのまま踏襲している可能性が高いと言えると思います。
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(3)組物− | 普段はあまり気づかれる方もいないと思いますが、軒下にある組物にも建物の特徴が現れています。宗派によっても若干異なり、見る人が見ればどの時代のどの宗教かが分かります。
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(4)例祭− | これは社殿(建築)ではありませんが、現在でも神仏混合の例祭が行われている所があります。赤田の大仏で有名な長谷寺と1キロ先の神明社の例祭は大仏様が観音様に姿を変え神明社にお泊りになり再び長谷寺へ戻ってくるというものです。又、相川寺や円満寺でも神仏混合の例祭が行われています。 ※ ○印は神社山門を有する神社
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1 |
−神明社 |
⇔ |
長谷寺 |
・大仏様が観音様に姿を変え、寺と神社を行き来する。 |
2 |
−不動社 |
⇔ |
相川寺 |
・例祭では住職が本殿で経、神主が前堂で祝詞をあげる。 |
3 |
−白山神社 |
⇔ |
円満寺 |
・5月3日の例祭で「十一面観音祭典」がある。 |
○4 |
−大威徳山神社 |
⇔ |
雲厳寺 |
・12年毎の例祭では雲厳寺の住職が取り仕切る。 |
5 |
−日枝神社 |
⇔ |
鷲泉寺 |
・例祭の番楽舞は鷲泉寺から出発し日枝神社に奉納。
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(5)名称− | 神社の名称にも神仏混合時代の名残が残されている例は多いです。例えば薬師神社などの名称は当時、薬師如来(一般的には顕教系の医薬の仏)を本尊としていた可能性が高く、金峰神社の名称は密教(山岳信仰等)と繋がりが深かった事を示しています。
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(6)境内− | 現在でも寺院と神社の境内が隣接する所があり、井川町の実相院と熊野神社は神仏混合の関係にあったことは有名です。
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(7)本尊− | 現在でも仏式の本尊(又は所有)が祭られている神社が数社見受けられます。以下に上げる神社は仏像が秋田県指定文化財指定されているものであり、その他文化財や無指定のものを含めると多数存在すると思われます。又、大威徳山神社のように秘仏として公開されることもなく文化的価値の高いものもあります。 ※ ○印は神社山門を有する神社
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