小沼神社(大仙市豊岡)

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概要・歴史・観光・見所
小沼神社(大仙市豊岡)概要: 案内板によると「小沼神社は小沼観音堂とも呼ばれ、ここ小沼山の山頂にあります。昔は、神社前の沼に中島があり、それの6尺(1.8m)幅の反橋が架けられ、ここを渡ってお参りしたと言われています。養老2年(718)の草創と言われるこの神社は、平安時代の「十一面観音菩薩立像」、「聖観音菩薩立像」の2体が安置されています。いずれも欅の一本造りで、等身大の量感あふれる作品で、当時の仏教芸術の極地を見る事ができます。このはか、室町時代の作と言われる彫刻「僧等首」があり、いづれも県の重要文化財に指定されています。また、社殿の中にある厨子は唐風造りで、総採色の上神殿には二体の獅子頭が保存されています。山頂には白山神社、諏訪神社、長床跡のほか、地名の由来ともなった峰の小沼は現在も耐えることなく清水が湧き出ています。文政11年(1827)、菅江真澄はここを訪れ、古老の言い伝え交え神社の、由来を詳しく書き残しています。」とあります。

小沼神社の創建は奈良時代初期の養老2年(718)に勧請されたのが始まりと伝えられています。ただし、地元住民からは死者の霊が小沼山登ると信じられ、山頂付近には神秘的な泉(沼)がある事などから、太古の昔から古代人の自然崇拝や祖霊信仰の霊山として信仰の対象となっていた可能性があります。又、泉(沼)には多くの小鮒が泳いでいた事から、鮒は神の遣いや祖霊の生まれ変わりと思ってか?鮒を食する事が固く禁じられ、篤く祈願する際には鮒を放していたそうです。平安時代に入ると神仏習合し、境内は浄土式庭園のように泉(沼)があり対岸から中島を経て社殿に至る反橋が設けられていたそうです。当時は「小沼山源東寺」と呼ばれ真言宗の寺院として仏教色の強い神社だったようで、社殿には十一面観音菩薩立像と聖観音菩薩立像が安置されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令によって仏教色が廃され、仏像は近隣にある龍澤山雲厳寺(秋田県仙北市角館町白岩前郷)に遷され、社号を「小沼神社」に改めています(その後、仏像は小沼神社に復しています)。明治42年(1909)に月山神社と白山神社、明治45年(1912)に諏訪神社を合祀した事で社号を「豊岳神社」に改称しますが昭和43年(1968)に旧社号である「小沼神社」に復しています。

小沼神社社殿は木造平屋建て、銅板葺き、平入、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、内部に設置されている厨子は江戸時代初期に制作されたもので、一間社入母屋造、高さ2.94m、幅1.12m、奥行0.59m、細部には精緻な彫刻が施され、外壁は極彩色に彩られ、貴重な事から平成3年(1991)に大仙市指定有形文化財(工芸品)に指定されています。小沼神社参道の途中に設けられいる神社山門は仁王門と呼ばれ、切妻、鉄板葺き、三間一戸、左右には地方色豊かな金剛力士像(仁王像)が安置され神仏習合時代の名残が感じられます。小沼神社は熊野信仰とも深い繋がりがあり、近くにある金峰神社にも山門があることから、ある種のスタイルのようなものがあるのかもしれません。

聖観音菩薩立像は平安時代に制作されたもので、桧材、一木造、像高177cm、彩色仕上げ、地方色が強く貴重な事から昭和27年(1952)に秋田県指定文化財に指定されています。十一面観音菩薩立像は平安時代に制作されたもので桂材、一木造、像高170cm、貴重な事から昭和27年(1952)に秋田県指定文化財に指定されています。木造僧形頭部は鎌倉時代に制作されたもので頭部高41cm、写実的な肖像彫刻、貴重な事から昭和35年(1960)に秋田県指定文化財に指定されています。祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、大山祇之命、久々理比女命。

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