山門−種別・名称
神社山門と言っても様々な種別があります。当時は神仏混淆の考え方が非常に多く一般領域と聖域とを分ける為、一種の結界門のような考え方がありました。基本的な形態が神社の為、当初から神門、随神門といって内部に神様を祀った山門もあったと思われますが、秋田県内では金剛力士像や仁王像を祀る仁王門が多いと思われます。現在随神門だったものも、神仏分離令以前は仁王門だったのかも知れません。
(1) 随神門 - 基本的に山門内部に左大神、矢大神、神馬などが祀られています。
(2) 仁王門 - 基本的に山門内部に仁王像や金剛力士像などが祀られています。
(3) 舞台門 - 山門以外の施設の機能を持っているもの(※当社の造語です。)を総称しています。高寺観音堂は拝殿、勝手神社では舞殿と呼ばれているようです。
(4) 単門 - 別に名称があるかも知れませんが、便宜上ここでは棟門を単門とします。
実際、秋田県内には多くの神社山門が存在します。建築年代までは良く分からないものも多いのですが、江戸時代の紀行家 菅江真澄は小沼神社の仁王門や高寺観音堂の舞殿などについての記述があり当時からの形式が現在でも受け継がれているようです。神仏分離令が発動し、多くの文化財が失われる中何故多くの山門が残されたのかは疑問に思うのですが、発令した年代が以前藩主だった佐竹氏が県令だった為、時代が変わり人々の不安が募いる情勢もあり、かなり手緩い政策だったのかも知れません。又、日吉八幡神社以外は都市部になく法自体が行きと届かなかった可能性もあり、同じように異宗教とされた人形道祖神や金勢様は都市部の多くが破棄されたのに対し、山間地域では現在でも存在する所もあります。
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