八幡神社(横手市平鹿町)概要: 八幡神社は22の神社を合祀した近郊集落の総鎮守で、明治時代以前は正八幡宮と呼ばれ、それ以前は三島神社と八幡神社、広田神社の三社が別々に祭られていました。由緒書きによると三島神社の創建は1200年前の延暦21年(802)に坂上田村麻呂が伊豆の三島大神(静岡県三島市:三島大社の祭神)を勧請したことが始まりとされ、地名でもある「三島」の由来にもなりました。八幡神社は平安時代後期に発生した後三年の役の十数年前の治暦3年(1067)に勧請されたのが始まりとされ源義家が当地まで進軍した際、戦勝祈願の為に鞍を奉納したと伝えられ、「馬鞍」の地名の由来にもなりました。広田神社は八幡神社よりも古い歴史があるそうですが詳細は不明とのこと。
室町時代の宝徳年間(1449〜1451年)に当時の領主だった小野寺家の家臣関口信忠が上記の三社を合祀し「正八幡宮」と社号を改めています。又、境内には江戸時代中期の宝暦7年(1757)に建立された廻国塔(六十六部:法華経を66回書写し、66カ所の霊場に一部ずつ奉納)があり当時の信仰の一端が窺えます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され「八幡神社」に改称、明治43年(1910)頃から周辺の氏神22社が合祀されています。
現在の八幡神社本殿は明治25年(1892)の建築で、彫刻は横手市の中島玄吉、形式は一間社入母屋造り、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り特に本殿の建物の彫刻はかなり細かく掘りも深く芸術性に富んでいて一見の価値があり、平成20年(2008)に横手市指定文化財に指定されています。
八幡神社拝殿は昭和22年(1947)に改築、彫刻は秋田市土崎の鈴木勝雲作で、形式は木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、鉄板葺き、平入、桁行5間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。歴史の流れからか、鳥居と神社山門とは直線では結ばれなく、何等かなの理由があるのかも知れません。神社山門は切妻、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、内部には石造の仁王像が鎮座していて、昭和の台風の際は身を呈して山門が倒れるのを防いだという謂れのある像で、貴重な事から昭和60年(1985)に横手市指定文化財に指定されています。
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