戸波神社(横手市)概要: 横手市増田町戸波にある戸波神社には案内板などなく由来、歴史等はよくわかりませんでしたが、鳥居近くの石柱に薬師の文字があることから神仏混淆だったと思われます。「秋田の神々と神社」によれば元は薬師堂と称し、平安時代初期の大同2年(807)に田村将軍(坂上田村麻呂)が天ヶ台山の山頂に勧請したのが始まりとされます。平安時代後期には清原氏の勢力圏となり、戸波郷には館が設けられた事から戸波神社も庇護されていた可能性があります。
鎌倉時代後期の正応年間(1288〜1292年)頃から薬師信仰が浸透するようになり、室町時代初期の応永元年(1394)に遥拝所兼薬師堂が現在地に造営されました。江戸時代中期の元禄年間(1688〜1704年)には加賀(現在の石川県)出身の千島監物が「祇園囃子」を当地に伝え、現在でも例祭に奉納されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式的には仏教色が廃され社号を「戸波神社」に改めています。
新しく整備された階段を登ると左右に古木の切り株など残り雰囲気のある参道が続き、正面には単層の神社山門があり仁王像が安置されています。神社山門は切妻、鉄板葺き、三間一戸、桁行3間、張間1間、外壁は真壁造り板張り、左右には江戸時代末期の慶応4年(1868)に奉納された地方色豊かな仁王像が安置されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行3間、張間2間の建物で正面に1間の唐破風の向拝があり、比較的新しい建物だと思われます。本殿は拝殿と比べ歴史が感じられる古い建物です。祭神:薬師神、大山祇神、豊受媛神。
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