七高神社(にかほ市)概要: 七高神社の創建は天平17年(745)、〆掛と呼ばれる地に勧請したのが始まりと伝えられています。御神体は当時、鳥海山の最高峰(享和元年の噴火後は新山)だった七高山で、その遥拝所的な色彩が強かったと思われます。応仁元年(1467)、後に由利十二頭の1頭に数えられた仁賀保氏の祖とされる大井友挙が信州から院内に入り山根館を築くと、山根館と七高山を結ぶ直線上の霊地、堂庭に七高神社を遷座、領内53ケ村の総鎮守として崇敬しました。鳥海山修験が盛んなると七高神社の別当寺院である極楽寺が学頭となり18坊を整備して鳥海山院内口の開発を行いました。
江戸時代に入ると大井氏の後裔である仁賀保氏(分家)が幕府旗本として仁賀保領3千石(誠政系2千石、誠次系1石)が安堵され引き続き崇敬社として庇護します。江戸時代には山根館が廃され新たに仁賀保陣屋が政治の中心だった為、七高神社の位置的意味合いが薄れ参拝には不便だった為、延宝8年(1680)に集落に近く鳥海山を正面とする現在地に遷座しました。極楽寺は江戸時代中に衰退し、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され多くの坊も失われました。
現在でも七高神社に継承される正月年占行事では鳥海山修験で見られた醸酒に似た「おぶこ酒行事」や「獅子巡行」、「御門松神事」、「大御饌神事」、「大散飯神事」、「御頭神事」が行われ特に「御門松神事」中は建物から外出することが出来ないなど神仏習合当時の古式が色濃く残り秋田県指定無形民俗文化財に指定されています。境内社である三社殿は案内板によると「 相馬太田神社、古峯神社、菅原神社の三社が同じ社殿に鎮座しており、常庭に七高神社があった時の古材がかなり使用されているという。建物の正面には五三の桐、両側に七高神社の神紋といわれる亀甲剣花菱紋を配している。」とあります。
七高神社の文化財
七高神社の正月年占行事−秋田県指定無形民俗文化財
獅子頭−明暦3年−秋田県指定有形民俗文化財
三社殿−江戸時代(古材多数)−にかほ市指定文化財
夫婦杉−にかほ市指定天然記念物
堂庭七高神社跡−にかほ市指定史跡
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