案内板によると「秋田藩内に設置された御関所(御境口)と御番所は、要地14か所に限られていました。当地も燐藩に接し、小野寺氏の世に境目城(鎧大館)も置かれていた軍事、交通上の要地でしたから、御番所が1648〜1652(慶安)年の頃に開設され、二百年後の1869(明治2)年11月まで存続しました。敷地に御門(冠木門)、木柵、御留物札場、御役屋(槍立場ほか2室)が配置され、横手支城の家士(給人、足軽各2名)が交代制(常詰)で、通行規制、交易統制、通行税徴収等の役務を行っていましたが、1800(寛政12)年、現地の御境目拠人、高橋十郎左衛門の常駐制(常番)に変わりました。・・・・(後略)」とあります。
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