矢島街道

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概要・歴史・観光・見所
矢島街道概要: 矢島街道は本荘藩の本荘から矢島藩を通り、山形県の真室川へ抜ける街道です。矢島からは、矢島藩生駒氏の参勤交代に使われていました。本荘から笹子は現在の国道108号線沿いにあり、本陣などの古い建物は残っていないものの重ならない部分では街道の旧態を留めている所もあります。又、矢島街道は子吉川にも沿っていた為、前郷などは舟運の中継地点で発展した町も見受けられます。

矢島街道
本荘城下(由利本荘市): 本荘城下本荘は六郷氏2万石の城下町として発展してきました。子吉川の下流に位置している為、本荘由利地方の物資が集積され、北前船の寄港地の1つということで対外的にも開けた町と言えます。又、羽州浜街道、本荘街道、矢島街道が交差する交通の要所でもあります。現在でも由利本荘市の中心としての地位はゆるぎのないところです。泉寺山門を始め本荘には幕末から明治にかけて芸術性の高い建物が多いように思います。
観光・旅行・見所 :本荘城・本荘八幡神社・永泉寺・日住白山神社・超光寺・善応寺
矢島街道
薬師堂集落(由利本荘市): 薬師堂集落矢島街道は本荘城大手門の前の道路から医薬神社の前を通るコースと本荘街道から東梵天の追分を経るコースがあり、薬師堂集落で合流します。家屋の密集度は比較的高く、建替えは進んでいるものの大きな移動が少ない為、当時からの敷地割りが残り、町並み全体が落ち着いた雰囲気があります。由利本荘市に近接している為、町屋などは無く商業的な発展は無いようですが、農家建築が連続して町並みが形成されています。
観光・旅行・見所 :医薬神社・地蔵堂・一里塚・町並み など
矢島街道
宮内・玉ノ池集落(由利本荘市): 玉ノ池村玉ノ池、宮内は矢島街道沿いにあった集落です。詳細は解りませんでしたが子吉川に接している事から舟運でも何らかの機能を果たしていたのかも知れません。国道は集落の外側を通っている為、町屋などの建物はあまりありませんが、現在でも落ち着いた家並みが続いています。それぞれの集落に八幡神社がありそれぞれ個性的です。下浜から移築された社殿の方は屋根の4隅に力士像が鎮座しています。
観光・旅行・見所 :玉の池八幡神社・宮内八幡神社・水場・町並み など
矢島街道
黒沢集落(由利本荘市): 黒沢集落矢島街道は南福田を通り、鮎川を渡り黒沢集落に着きます。黒沢集落は前郷や南福田のような交通の要所ではありませんが番所があり重要視されていました。その為だと思うのですが、番所付近で街道がクランクして枡形状になっています。現在、黒沢集落内には国道が通っていない為、落ち着いた雰囲気の町並みが続いています。新山神社付近には何店か店舗があるものの、基本的には農家建築が軒を連ねています。
観光・旅行・見所 :新山神社・庚申塔・町並み など
矢島街道
前郷集落(由利本荘市): 前郷村前郷は江戸時代初期に滝沢政道によって「滝沢城」を建てた時から発展してきました。当時は、侍屋敷80位、足軽屋敷90位、町屋が100位はあったと言われています。現在でも城の堀や土塁の1部が残っていて、町割りは今でも当時のままを良く残しており枡形なども読み取ることができます。滝沢城破却後は、子吉川の水運や矢島街道沿いの町として発展してきました。現在ではほとんど町屋が見当たらず昔風情の町並みではあまりありません。
観光・旅行・見所 :慶祥寺・滝沢城・佐々木家住宅・船着場跡・日枝神社
矢島街道
大水口集落(由利本荘市): 大水口集落前郷から矢島街道沿いに進むと大水口集落に着きます。大水口集落は矢島街道と玉米街道(旧東由利町:矢島藩領)との追分でした。その為本荘藩はこの地を重要視し、玉米街道が開通に合わせ大水口番所を設置しました。現在は国道や鉄道などの主要幹線から離れ、前郷とも隣接している為、商業的な発展は無かったように感じます。静かな風景が広がり1部農地の中に旧矢島街道が残っています。
観光・旅行・見所 :大水口番所跡・大山祗神社・庚申塔・旧矢島街道・町並み など
矢島街道
五十土集落(由利本荘市): 五十土集落大水口集落を出て旧矢島街道沿いに進むと五十土墓地が左側に見えてきます。そこには経塚や線刻地蔵尊などが安置されていて歴史を感じる事が出来ます。さらに進むと左手に石碑群があり、集落はこれより右側へ入ります。五十土集落は農村集落で町屋などはなく、農家建築が軒を連ね静かな町並みを形成しています。集落の名前から「雷神」と関係あるような気がしますが詳細は分かりませんでした。
観光・旅行・見所 :白山神社・柴倉神社・庚申塔・町並み など
矢島街道
山本集落(由利本荘市): 山本集落五十土集落を出て矢島街道沿いに進むと左側に小菅野集落が見えます。さらに進み由利高原鉄道と国道108号線を越えると山本集落に着きます。国道が通っていた事もある為、道路が拡幅して古い建物もあまりありません。建物が密集しているので街道沿いということは想像出来ます。戊辰戦争の際は激戦地となり「山田合戦の碑」が庚申塔などと一緒に集落入り口にあり、歴史を語っています。又、由利氏の居城である根城があった為、由利氏縁の史跡が点在しています。
観光・旅行・見所 :白鳥神社・御膳水・山田合戦の跡・由利仲八郎政春の墓
矢島街道矢島街道 矢島街道  ● 吉沢神明社へ参拝
吉沢集落(由利本荘市): 吉沢吉沢は矢島藩と本荘藩の藩境にあり、番所が置かれていました。矢島街道沿いに長く続く町並みですが店舗などは少なく、静かな山間の集落といったイメージを持ちました。ただ本荘藩として矢島街道の入り口として重要視していたと見られ、藩内ではトップクラスの吉沢神明社を配置しています。吉沢神明社の社殿はさほど大きくはありませんが当時の本荘藩お抱えの芸術家達が総員された豪華なつくりで国登録文化財に指定されています。
観光・旅行・見所 :吉沢神明社・吉沢番所・石碑群・畑中喜右衛門碑・町並み など
矢島街道
小板戸集落(由利本荘市): 小板戸集落小板戸集落は子吉川舟運の最終遡航地点で矢島藩領内唯一の舟着き場があった為、藩の御蔵や農家の仮米蔵(御蔵の他に農家の蔵を借り上げていた)などが建ち並んでいたとされています。御蔵内部には小板戸役所と呼ばれる役所があり矢島藩から足軽2人が交代で取り扱いしていたそうです。現在では鉄道が開通するなど、その役目を終え静かな集落となっています。集落の中には仮米蔵とした蔵や「舟神碑」が現存しています。
矢島街道
川辺集落(由利本荘市): 川辺集落矢島街道は小板戸集落から子吉川沿いに進み国道108号に吸収されます。数10m行くと熊野神社を左折して川辺集落へ入ります。この集落では総鎮守というものが無いのか、小さい社が多く見受けられます。昔の行政単位で言う「小字」ごとに小さなまとまりがあるようです。熊野神社から小さい川を挟んで杉沢神明社、ここを街道沿いに左折すると祥雲寺跡にあるお堂、ここを左折してしばらく行くと山神社が右手に見えます。
矢島街道
矢島城下(由利本荘市): 矢島城下生駒氏の一万石の城下町として栄えた矢島町は、戊辰戦争で多くの文化財が焼失したものの、現在でも武家町や商人町など昔の町割りを残しています。所々に龍源寺や大井家住宅、八森苑などの古い建物が点在し、和風の町屋はもちろん、数件の洋風建築のなど印象ある建物が残っています。矢島の町のもう1つの特徴は山間の町らしく傾斜地に建物が建って、坂が多く町中に水路が巡り豊かな風情を醸し出しています。又、城下町周辺にも高建寺や土田家住宅、矢越八幡神社などの古建築が点在しています。
観光・旅行・見所 :大井家住宅・八森陣屋・龍源寺・高建寺・土田家住宅
矢島街道
川内集落(由利本荘市): 川内川内は旧鳥海町の中心地で現在も由利本荘市の支所が置かれています。矢島街道沿いの町ですが、矢島から出て最初の宿駅が平根のことから、宿場町として発展した訳ではないようです。ただ、子吉川と笹子川の合流地点の為、物流の集積や直根などの集落へ通じる道もある交通の要所だったのかも知れません。古い町屋などは無いのですが、何故か懐かしい感じがして時間がゆっくり流れていきます。
矢島街道
笹子集落集落(由利本荘市): 笹子笹子は矢島街道沿いにある町で生駒氏(矢島藩主)が参勤交代の際、最初に泊まる本陣が置かれていました。その遺構は見ることが出来ませんが、この周辺では一番町も大きく店舗の数も多いです。又、笹子で院内へ行く脇街道も別れており交通の要所でした。元大井氏家臣金子氏も館(現在の慈音寺が建っている場所)を築いており中世から開けていた事が解ります。
平和街道
真室川へ


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