由利本荘市:内黒瀬・内越集落
秋田WEB観光案内所(ホーム)
>
羽州浜街道
>由利本荘内黒瀬・内越集落
概要・歴史・観光・見所
由利本荘市内黒瀬・内越集落概要:
内黒瀬、内越は中世、由利十二頭の1人打越氏の支配下にあり現在でも関係した神明社や恵林寺、白山神社などの社寺が多く残ります。又、岩谷と同様に楠家の伝承も伝わっています。江戸時代には領内を4つの区域に分けた「四扱村々」の中で、内越通に組み込まれ、亀田城下と
石脇港
へ通じる重要な道としても整備され、付近にある神明社や香泉寺は藩主の帰依が厚かったと言われています。
内黒瀬・内越集落:町並み・写真
新沢
岩谷
内黒瀬
石脇
本荘
潟保
院内
平沢
金浦
象潟
三崎峠
神明社
周辺には南北朝時代に南朝で活躍した楠一族の伝説が多く、この神明社も当時の出羽守の任にあった楠正宣が応永年間(1394〜1428)に日乃神の火蔵を祭ったのが始まりとされています。その後、周辺を支配した打越氏の庇護を受け応仁年間(1467〜1469)に社殿を再建しています。江戸時代に入ると亀田藩主の岩城家の崇敬社となり、社殿の改修などが行われています。現在の社殿は元文4年(1740)に建てられたもので、江戸期に建てられた数少ない神社建築として貴重な存在といえます。何か謂れがあるのか白く塗られた鳥居が気になるところです。
恵林寺
恵林寺
の創建は明徳年間(1390〜1394年)と云われ出羽守の楠正宣が開基し先祖の菩提を弔ったと伝えられています。その為、南北朝時代の南朝側に近い寺院とされ、現在でも格天井や欄間に桐の紋章が使われ、境内には楠家の菩提と言われる五輪塔があります。打越氏とも関係が深く、江戸時代に入り打越氏が配置替えになると何度か場所を移動し、現在地に字堂が建立されたのは嘉永5年(1852)のことです。旧本荘市を代表とする古建築の1つで土縁など古い寺院建築の形式を今に伝えています。又、本堂左側にある観音堂には
赤田の大仏
を開いた是山和尚が製作したと伝わる観音像があり
亀田領三十三観音霊場
第8番札所となっています。
白山神社
白山神社は中世この周辺を支配した由利十二頭の1人打越氏の居城、
内越城
の主郭に鎮座しています。そのことからも打越氏と深い関係があったと思われます。城は平城でしたが、4〜5mの高台にあり城郭の跡を利用したのか階段がクランクしながら伸びているが印象的です。社殿は3間社で由利本荘地域で良く見られる入母屋の瓦屋根で、正面に大きな妻を見せ入り口上部は唐破風となっています。細部の
彫刻
もかなり凝ったものが多く龍や獅子、虎などが施されいます。
香泉寺
香泉寺の創建は南北朝時代の元中年間(1384〜1392年)に金沢にある大乗寺の3世明峯素哲の法弟直翁里機が開山したと伝わっています。周辺では名刹とされ、葛岡の永泉寺と萱ヶ沢の鷲泉寺とあわせて芋川三泉寺と称されていました。江戸時代は亀田藩主の帰依が強く、岩城宣隆(久保田藩主
佐竹義宣
の実弟で2代亀田藩主)の位牌が安置され、
亀田領三十三観音霊場
第9番札所となっています。現在の本堂は天明7年(1787)に建立されたもので、上記の恵林寺と共に旧本荘市では数が少ない近代以前に建てられた寺院建築として貴重な存在といえます。
スポンサーサイト
秋田県の街道
・
十二所街道
・
阿仁街道
・
矢島街道
・
羽州街道4
・
羽州街道3
・
羽州街道2
・
羽州街道1
・
手倉街道
・
繋街道
・
来満街道
・
小安街道
・
大間越街道
・
男鹿街道
・
生保内街道
・
沼館街道
・
川大内街道
・
刈和野街道
・
亀田街道
・
角館街道
・
本荘街道
・
平和街道
・
羽州浜街道
・
羽州浜街道2
・
五城目街道
※ 相談や質問は大変失礼ですが、
メール
のみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「秋田県の町並みと歴史建築」は「秋田県の歴史」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−秋田県」、「日本の城下町−東北(二)」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、「歴史道路報告書」、を参考にさせていただいています。