重福寺(横手市大雄阿気)概要: 重福寺の創建は不詳ですが元々は真言宗の寺院だったとされ寛文元年(1661)須藤権重郎の帰依を受け天徳寺14世一関童策を勧請し曹洞宗に改宗開山したとされています。須藤権重郎は久保田藩初代藩主佐竹義宣の供侍だったそうですが、慶長7年(1607)に水戸(茨城県水戸市)から久保田(秋田)に移封になった折、帰農を命じられ阿気の地に土着したとされます。須藤権重郎は寛文11年(1671)に死去し法名「見光道性居士」とある為、当時としてかなりの長寿だったか、2代目又は3代目が開創したのかも知れません。一関童策は元々松峰山桂林寺 (栃木県宇都宮市清住)の僧侶でしたが万治2年(1659)に天徳寺に迎え入れられ持住となっています。寺紋は須藤氏が佐竹家に近い存在だったか、重福寺が佐竹家の菩提寺である天徳寺に近い関係だったのかは判りませんが佐竹家の家紋と同じ「五本骨扇に月の丸」に掲げられています。阿気地域3千石には重福寺しか寺院が無かった為、住民から篤く信仰され、数多くの名僧を輩出しています。
戊辰戦争と昭和26年(1951)の火災でほとんどの建物や寺宝が焼失しています。正面の山門(仁王門)は平成12年(2000)に再建したもので、入母屋、銅板葺き、正面軒唐破風、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、上層部には高欄が廻り、中央には「宝蔵山」の山号額、下層部左右には秋田県十文字町(現横手市)出身の彫刻家である皆川嘉左エ門が彫刻した仁王像が安置されています。山号:宝蔵山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
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