多宝院(能代市檜山)概要: 潜竜山多宝院の創建は延徳元年(1489)、 当時の下妻城(茨城県下妻市)の城主多賀谷通経が笑伝宗ァを招いて開山したのが始まりとされ、以来、歴代多賀谷家の菩提寺となりました。戦国時代に入ると多賀谷氏は佐竹氏に従属し当時の当主佐竹義重の4男宣家を養子として向かえ一族衆となりました(佐竹義宣の継室は多賀谷重経の娘)。慶長5年(1600)の関が原の戦いで兄である佐竹義宣に同調し東西中立を保った為、大名家(18万石)から事実上改易となり、慶長7年(1602)義宣が久保田藩に移封に際、家臣として随行し仙北郡白岩に配され多宝院もこれに従いました。
慶長15年(1610)、檜山城(霧山城)の城主小場氏が大館城に配された関係で多賀谷氏が檜山所預として檜山城1万石で配されると多宝院も檜山城の城下に境内を構える事になり、全欣和尚によって中興開山しています。その際、中世の檜山城の城主安東家の菩提寺国清寺から什物や古扉が納められています。多賀谷家からは寺領80石が寄進され寛永11年(1634)には半鐘が寄進、明和8年(1771)には堂宇が再建されています。
現在の多宝院本堂、山門、鐘楼は当時のもので、本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、土間や広縁、平面構成など江戸時代後期の曹洞宗寺院の特徴が見られ、廊下は東北地方では珍しウグイス張りになっていて棟梁は角館出身の宮大工藤河与右衛門が手掛けています。山門は入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚楼門で高欄、花頭窓付。鐘楼は入母屋、鉄板葺、袴腰、高欄付。多宝院本堂・山門・鐘楼は江戸時代中期の寺院建築の遺構として貴重な事から平成2年(1990)に秋田県重要文化財に指定されています。又、庭園は京都銀閣寺を模し名園とされ、寺宝も多く佐竹義宣の継室大寿院が父親多賀谷重経の供養の為に寄進した多賀谷重経公座像(能代市指定文化財)や秘仏不動明王像などを所有しています。山号:潜竜山。宗派:曹洞宗。本尊:聖観世音菩薩(多賀谷宣家の正室が寄進)。
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