広沢寺(湯沢市稲庭町)概要: 案内板によると「・・・・(前略)広沢寺は当時の稲庭城主小野寺弥太郎道広が檀郡寺開基となり現在地に開基した。長禄3年(1459年)本堂の裏に道広の墓石が苔生し各字が破蝕しているが現存している。」とあります。広沢寺の前身は平安時代初期の大同2年(807)、日本三大霊地として数えられた川原毛地獄に月窓和尚が開いたと伝わる霊通山前湯寺とも云われています。天長6年(829)には東北地方に天台宗を布教したと伝わる慈覚大師円仁も当地を訪れ法羅蛇地蔵と自ら彫刻したとい面を奉納したとされます。
室町時代の明徳4年(1393)に梅檀上人によって三途川に遷され(現在の十王堂)、さらに長禄3年(1459)に小野寺道広によって稲庭町萱又に境内を移し寺号を「嶺通山広沢寺」に改称し小野寺家の菩提寺としています。大永5年(1521)に小野寺道俊により現在地(稲庭町小沢)に境内を移すと補陀寺(秋田県秋田市)6世鑑能勇照を勧請開山として中興開山しています。
現在の広沢寺本堂は江戸時代後期の寛政元年(1789)に建てられたもので、木造平屋建て、寄棟、銅板葺き、平入、桁行7間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、かなり赴きがある建物です。広沢寺山門は入母屋、銅板葺き、一間一戸、四脚楼門形式の鐘楼門で、上層部正面外壁が花頭窓風に書き込まれ「嶺通山」の山号額が覗き見られる凝った意匠が採用されています。規模はあまり大きくはありませんが柱などもかなり太材を使っており重厚な印象を受けます。広沢寺境内には中興開基者である小野寺道広のものと伝わる墓碑が残されています。山号:嶺通山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
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