秋田県・商家建築(町屋)

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秋田県商家建築
〜 町屋型狭小住宅 〜
秋田県・商家建築(町屋)
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町屋建築の概要
 秋田県内にはまだ多くの古民家が残っています。古民家と言ってもその種類は幾つかあり、今回は商家建築(町屋)を取り上げます。商家建築は「町屋」などと呼ばれる形式です。江戸時代、敷地の間口の広さで税金が決まっていた関係で、特に城下町の商家は商人町へ住まわされた関係でその多くが敷地割が間口が狭く、奥行きが長い形をしています。その為、商家建築(町屋)もその敷地の形状に則した形になっているという特色をもっています。正面の店の部分が土間になっていて、奥にある物品蔵までは通り土間で繋がっていてそこに各部屋が接しているというのが基本の型で、財力が大きかった商店は間口が広くなり庭や文庫蔵などが付け足されていきました。町屋の外観は切妻、妻入りが多く、屋根の雪が道路側に落ちない為というのが理由の1つとされています。明治時代に入ると町屋も大型化し、蔵造りの町屋(店部分)のものも見られます。そのほとんどが平入りの町屋で、より間口が広くなっています。又、秋田県内には町屋の正面に「こみせ」と呼ばれる現代のアーケードのようなものが付属している場合があります。当時はかなりこの形式をもっていた町屋があったそうですが、現在、1部を除いてはその姿を見る事はほとんどなく貴重な文化遺産だと思います。又、これら商家建築(町屋)は古来の町屋型狭小住宅とも言え、単なる文化財だけでなく現在の私達の住まいのあり方のヒントが隠されているかもしれません。
(1)町屋形式−屋根形状と正面方向との関係
 町屋を分類する時に屋根の形式と建物への入り方でその形式を分ける場合が多く、秋田県内では主に木造2階建ての切妻妻入りの形式の町屋が多く、平入りになると土造になるケースが多くなります。当然時代背景などではっきりした事は言えませんが、切妻妻入りの形式は雪が直接道路に落ちる事が少ない為、東北の日本海側に多く採用されたと思われます。江戸時代に描かれた「秋田街道絵巻」や「秋田風俗絵巻」などにも町屋の形状が分かり、当時からこの形式が採用されていたようです。ただ全ての町屋がそうだった訳ではなく、鹿角市の花輪毛馬内などは平入りの建物が多く、当時の南部藩の影響かと思います。又、刈和野でも時代背景は分かりませんが平入りの建物が多く存在します。このように気候風土に適した形態と同様に住んでいる住民の趣向性、場合によっては宗教的意味合いなどから建物の形態が変わります。これからの町づくりに際し、これらの事を考慮しながらデザインの方向性を決めるのも1つの方法かと思います。

切妻妻入り
切妻妻入り
切妻平入り
切妻平入り
寄棟妻入り
寄棟妻入り
寄棟平入り
寄棟平入り

(2)町屋形式−こみせ
 先程述べましたが秋田県を含めた東日本の日本海側は「こみせ」(地域によって「雁木」、「こもせ」など言い方が異なる。)と呼ばれるアーケードの様な形態をもつ町屋が多く存在します。ただ、「こみせ」は所謂、現代の道路や歩道とは異なり公共用地ではなく、あくまで店側の私有地です。冬季になると隣の店から隣の店へと外部に出なくても移動出来るのが特徴で「こみせ」から店へ入る為さらに入り口が容易されています。これら「こみせ」は私有地ながら公共的に使われている為、中間領域などと呼ばれ、これら空間が豊かな事が都市空間が充実している事のバロメーターの1つとされています。「こみせ」は青森県の黒石市や新潟県の高田市が有名で、秋田県内では鹿角市の毛馬内にかろうじて町並みとして存在しています。ただその「こみせ」も歯抜けになり本来の機能とは程遠い状態にあります。これらを町並みとして生かしていく事が特色ある町づくりのヒントになるかも知れません。
こみせ
小田島家(花輪)
こみせ
旧関善酒店(花輪)
こみせ
田口麹店(毛馬内)
こみせ
湯川呉服店(六郷)
(3)町屋形式−構造
 町屋には様々な構造があります。秋田県内で多くの町屋は塗り屋造りといって木造の建物に5〜10cm程度の土を塗った構造です。特に切妻屋根の妻側の構造材を表しにしてデザイン美としています。中には増田町の町屋で多く見られるように桁を外壁より外側に出しデザイン化したりする例もあります。土蔵は外壁の土の厚さが20〜25cmで構造体を基本的に全て包みます。その為、塗り屋造りと比べても防火上に優れています。開口部には何段も段差を付け、火災時に火が廻ってこないよう様な工夫が見られます。秋田県内では土蔵の建物の多くが物品蔵や内蔵(文庫蔵)で、店部分が土蔵の建物が極めて少ないと言えます。理由は良く分かりませんがスタイルとしては確立しなかったようです。鹿角市の花輪では町屋の妻面が片方が塗り屋、もう片方が土蔵になっています。火災の時、隣家からの延焼の為の工夫ですが、土造自体がかなり高価なものなので、必要以上には土造が使われなかったのかも知れません。煉瓦造やモルタル造、石造は数例を除いてはほとんど存在しません。

塗屋造
塗屋造
土蔵
土蔵
煉瓦造
煉瓦造
モルタル造
モルタル造

(4)町屋形式−うだつ
 「うだつ」とは通常隣家からの火災の延焼を防ぐもので前面の道路に対して垂直に付けられているのがほとんどです。「うだつ」で有名な脇町や岐阜市などはその典型で、「うだつ」が機能は元よりデザイン的にも発展して、「うだつが上がらない」事を甲斐性がない事の比喩とした言葉が発生しました。ここで注目して欲しいのは「うだつ」が有名な町屋のほとんどが平入りの建物だと言う事です。秋田県内は妻入りの建物が多い事は先程述べた通りですが「うだつ」はどの様に上がっているのでしょうか?実は秋田県内の「うだつ」は道路に対して平行に付いています。火災に対してどの程度有効なのかかなり疑問で、どちらかとデザイン上や格式を表したものではないかと思います。大森町にある赤源呉服店は平入りの建物ですが、道路に平行な「うだつ」がある事からも秋田県内の「うだつ」がある種のスタイルとして確立していたのかもしれません。
うだつ
うだつ−1
うだつ
うだつ−2
うだつ
うだつ−3
うだつ
うだつ−4
(5)町屋形式−内蔵(文庫蔵・座敷蔵)
 秋田県の町屋建築の特徴として内蔵が上げられます。雪国特有という訳ではありませんが、冬季間は蔵と店が繋がっていた方が断然有利の事から秋田県内の町屋建築の多くが採用しています。単純に独立した棟の蔵と母屋を繋げているのではなく、大きな建物の中に内蔵が納まっているといった感じだと言う方があっていると思います。店と内蔵とは「通り土間」と呼ばれる土間空間で繋がり、内蔵の前はある程度広く取り作業出来るスペースになっていています。又、土造は雪国の住環境にも適しており、「文庫蔵」や「座敷蔵」と呼ばれ住空間としても利用されていました。増田町では柱や梁、床材など漆を塗り贅を尽くした造りになっていて、床の間や囲炉裏などが備え付けられ、ある種の「家」のステータスのような扱いになったようです(家によっては客人や家長以外は出入りが出来なかった)。多くの内蔵(文庫蔵・座敷蔵)が建てられました。現在でも100棟ほど現存しているそうで、その内何棟かは文化財指定になっています。

内蔵(文庫蔵・座敷蔵)
漆蔵資料館1
内蔵(文庫蔵・座敷蔵)
漆蔵資料館2
内蔵(文庫蔵・座敷蔵)
漆蔵資料館3
内蔵(文庫蔵・座敷蔵)
漆蔵資料館4



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