光禅寺(由利本荘市松ヶ崎)概要: 光禅寺の創建は嘉慶2年(1388)に由利12頭の1人赤尾津敏弘が直翁呈機(石川県金沢市:大乗寺の高僧)を招いて代々の菩提寺として袖ヶ沢に堂宇を建立したのが最初とされます。ただし、赤尾津氏の祖は宝徳2年(1450)に租税を横領した小助川立貞とする説や応仁元年(1467)に信濃国(現在の長野県)から入封した説があります。赤尾津氏は由利十二頭最大勢力として当地域に君臨し、光禅寺も寺領60石を安堵されるなど寺運が隆盛しています。
ところが、天正15年(1587)に光禅寺は突然に廃寺。赤尾津氏は天正18年(1590)の太閤検地で所領が安堵され、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで派生した出羽合戦にも参加している事から不可解な点ではあります。しかし、その赤尾津氏も江戸時代初期には没落したようで文献から姿を消しています。
江戸時代中期の宝暦2年(1752)、龍門寺13世政義天泰存和尚が赤田の大仏<で名をはした弟子である是山泰覚大和尚と協力しながら再興し、宝暦8年(1758)に伽藍を建立しました。街道からは奥まった所に本堂があるので分かり難いのですが、境内の一角には西国33観音が安置して歴史ある寺院の風情があります。亀田領三十三観音霊場第三十三番札所。山号:真覚山。宗派:曹洞宗。本尊:聖観世音菩薩。
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