由利本荘市:岩城内道川集落

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概要・歴史・観光・見所
由利本荘市岩城内道川集落概要: 内道川は羽州浜街道沿いにある集落で、江戸時代は岩城亀田藩に属し「四扱村々」の1つ「下浜通」と呼ばれていました。羽州浜街道は道川か二古で亀田城下から石脇を経て本荘へ行くコースと、松崎を経て本荘に抜けるコースとに分かれていたようです。内道川の町並みは瓦屋根が続き落ち着いた雰囲気があります。海側には板塀を配し海風を防いでいるのが特徴です。

岩城内道川集落:町並み・写真

二古集落
久保田城 新屋 浜田 桂根 下浜 道川 二古 松ヶ崎 亀田 上蛇田 新沢
神明社
 神明社神明社は内道川集落を見下ろす山の中腹に鎮座しています。創建年などはわかりませんが、かなり古くからの歴史があるようで、享保元年と寛政5年にそれぞれ観音仏が寄進されています。日本海側に面している周辺の集落は鎮守を集落背後の山の中腹に鎮座させて、村を守ると同時に海からの目印にもなり灯台のような役割をもっていたと思われます。鉄道や国道が通った為か、神社への参道は集落から直接行けません。境内には神楽殿のような建物もあり以外と大きい規模神社です。明治14年に内道川大火により類焼し同30年に再建されました。
地蔵堂
 地蔵堂地蔵堂は道川集落の由利本荘側の最後尾にあります。岩城亀田藩内にある街道沿いにはよく見かける光景で、お地蔵様が庚申塔や道祖神の役割を持っていると思われます。是山泰覚大和尚の影響なのか地蔵講のようなものが盛んのような感じがします。道川集落では、最初からあったと言うよりは若干移動したり、周辺の石碑などを集めたような雰囲気がして、周辺も整備され集会施設のようになっています。
正眼寺
 正眼寺正眼寺は羽州街道よりかなり内陸部にある道川集落にあります。創建は中世この付近を支配した道川氏が開基となり加賀国大乗寺二世紹瑾禅師の法弟明峰素哲和尚の開山、正和元年(1312)に宇堂が建立されたと言われています。その後何度か火災にあったらしく、現在地へは宝暦年間以前に移ってきたようです。亀田領三十三観音霊場の第25番札所となり、その観音堂の天井には赤田の大仏を開いた是山和尚が描いたとされる「一匹龍」が現存しています。本堂は昭和41年に改修され現在にいたっています。
御嶽神社
 御嶽神社御嶽神社は内道川集落より久保田よりにある勝手集落の権現山の頂上付近に鎮座しています。権現山はこの周辺では最高峰である為、海上からも良く見え古くから信仰の対象となってきました。養老元年(717)には柵戸の神が祭られ、大同元年(806)には山形県にある御嶽神社から分祀して山の麓に勧請しました。八木沢にある保呂羽山波宇志別神社とも関係が深いとされ、別当が権現山の頂上に社殿を移しました。中世に入ると付近をしていた道川氏の祈願所となり、社殿の修復や寄進物があったそうです。中腹には寛政8年(1796)に付近の海に打ち上げられた大阪の北前舟が御影石の鳥居を奉納したものが現在でも健在し,江戸時代の年代の入った石燈篭や狛犬など多くの奉納物があり信仰の深さを感じます。社殿も古社の雰囲気があり、多くの彫刻が施されています。龍、獅子、象の目には黒く着色されているのは、象潟にある金峰神社に近いものがあります。又、屋根四隅には力士像があり、この形態は秋田県中央部に近似しています。


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