横手市:上吉田集落
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概要・歴史・観光・見所
横手市上吉田集落概要:
上吉田集落は浅舞から少し離れたところにあります。中世には吉田城が築かれ小野寺氏の拠点の1つになっていました。現在でも城跡には土塁や堀の形状が良く残り平城としては大変珍しく秋田県指定史跡になっています。西方寺や三吉神社などがあり昔を偲ぶことが出来ますが、中心部の道路が拡幅した為かあまり古い建物は残っていませんでした。集落境には多数の庚申塔などの石碑があり信仰の厚さが現在でも受け継がれているようです。
上吉田集落:町並み・写真
大曲
内小友
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田村
阿気
深井
沼館
上吉田
浅舞
植田
湯沢市
吉田城
案内板によると「
吉田城
跡は、戦国時代平鹿・雄勝地方を支配した小野寺景道が築城したと伝えられる。その後、小野寺陳道が継承したが、慶長6年(1601)ごろ小野寺氏の改易とともに廃城になった。この
城
跡は、ほぼ方形で、周囲に土塁と水掘がめぐらされており、指定面積14577平方メートルである。土塁は東西120メートル・南北100メートル、基底約6メートル、上幅約3メートル、高さ約2メートルで、その外周を幅約6〜10メートルの水掘が囲んでいる。
土塁北西部隅には花見崎とよばれ、北東隅には三吉神社・稲荷神社がある。城跡に南接して西法寺があり、北方約500メートルに馬場跡及び馬水飲場・馬洗場と称される場所がある。東方にも鍛冶屋敷の呼称が残っている。この城跡は、県内に残る数少ない
平城
跡として貴重な遺構である。」とあります。吉田城は秋田県指定史跡となっています。
西法寺
西法寺は吉田城の一角にあります。明治初期に火災にあい詳細な記録は焼失しましが吉田城城主だった小野寺氏が開基したと伝えられています。現在の堂宇は昭和22年に再建したものですが、周囲と溶け込んでいてかなり落ち着いた雰囲気を持っています。境内には西国33観音が祭られ、山門中には金剛力士像が安置されています。
三吉神社
三吉神社は吉田城の北東に鎮座しています。集落の鎮守と思われ、境内には稲荷神社など多くの神社が合祀し祠や石碑があります。社殿自体はあまり大きくはありませんが集落の人達の精神的拠り所になっていたようです。案内板にはこの集落出身の柴田浅五郎の業績が書かれていました。柴田は明治初期に行われた自由民権運動の秋田県の中心的立場にあった人物で府県単位では全国一の人員の組織に育てたといわれています。
庚申塔群
庚申塔群は集落境に鎮座しています。数多くの石碑があり、庚申塔や青面金剛が目に付きます。中には石製や木製の金勢様が数体祭っており民俗学的に見ても興味深い所です。祠には入っていませんが傍らには自然石の庚申塔があり木柱には鹿島大明神が書かれていることからも、このような民俗信仰があったことがわかります。江戸時代には紀行家の菅江真澄が醍醐で大型の
鹿島様
が祭られていたと記述があり、現在でも隣接する深間内や荒処集落では大木に注連縄を張り鹿島様としています。
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