1 −鹿島様タイプ
人形道祖神で最も有名なのが、この鹿島様タイプです。よくテレビや博物館でも取り上げられ人形道祖神と言えば鹿島様と思っている人も多いと思います。このタイプの特徴はなんと言っても巨大だと言う事です。3〜4mの高さを持ち全身藁で作られ、秋田県の中でも中央、南部山間地域に集中しています。配置としては集落境に男神、女神どちらか1体だけ鎮座していることがほとんどです。道祖神や道切りなどはその意味合いから集落の全ての入り口(通常は2箇所)に置かれるとは思うのですが、1体しか鎮座していません。当然、製作には手間がかかる為、一方向だけになったとも考られるのですが、主道と間道との間に差異をつけたり、親村方向や宗教上繋がりのある村の境には置かないなどの理由が考えられます。又、鹿島様タイプにはさらに2つのタイプが存在して顔が藁で作られる鹿島様タイプAと木面の鹿島様タイプBに分けられます。
1−鹿島様タイプA |
−顔が藁で作られている |
−南部山間地域で多い |
2−鹿島様タイプB |
−顔が木面で作られている |
−中央、南部山間地域で多い |
人形道祖神は伝承や当時のスケッチなどを見ても顔は藁で作られている事が多く、藁や墨で目鼻を付けると最後は滑落するなど破損することが多く、徐々に木面に変わっていたと考えられます。その為、鹿島様タイプAは南部山間に限られ、中でも旧大森町や旧大雄村、旧三内村、旧雄勝町で見られます。鹿島様タイプBは湯沢市の岩崎がその代表であると同時に最南端で、ここより中央山間地域に広く分布しています。
1−2−1 −鹿島様と鹿島祭り(鹿島流し、鹿島送り)
よく鹿島様と鹿島祭りと同義に使うことがありますが、現在ははっきりと分かっていないようです。鹿島様は明らかに鹿島信仰を拠り所にして武甕槌神や鹿島大明神が集落境で悪霊や疫病などを防ぐいった民俗信仰の形式なのに対し、鹿島祭りは地域によって「鹿島流し」や「鹿島送り」など呼び方は変わりますが「虫送り」の一種で、村内部に侵入した、悪霊や疫病、害虫などを村の外に追い出すといった相反する形式を取っています。祭りの内容は一般的に各家々から藁で出来た鹿島人形と称される小さな人形を鹿島舟に乗せ、町内を引き回しお祓いをして川(海)に流す(時代から燃やす地域もある)という祭りですが、なぜ「虫送り」に鹿島人形が乗るのかは なかなか難しい問題で、秋田県内でも道祖神と「虫送り」が混合している地域もあるので無視出来ない存在と言えそうです。
1−2−2 −秋田県内の主な鹿島祭り(鹿島流し、鹿島送り)
場 所 |
名 称 |
期 間 |
備 考 |
男鹿市北浦 |
鹿島祭り |
7月14日 |
海上安全、大漁祈願 |
秋田市新屋 |
鹿島祭り |
6月第2日曜日 |
無病息災、日吉神社の神事 |
大仙市大曲 |
鹿島流し |
6月第4日曜日 |
餅や十文銭を背負わせる |
大仙市花館 |
鹿島流し |
6月第4日曜日 |
餅や十文銭を背負わせる |
大仙市内小友 |
鹿島流し |
6月第4日曜日 |
餅や十文銭を背負わせる |
大仙市藤木 |
鹿島流し |
7月第1日曜日 |
歴代高橋家が鹿嶋人形を作成 |
大仙市角間川 |
鹿島流し |
6月第4日曜日 |
|
横手市大雄阿気 |
鹿島送り |
7月第3日曜日 |
|
横手市大雄田根森 |
鹿島送り |
8月第3日曜日 |
|
横手市雄物川町深井 |
鹿島送り |
7月第2日曜日 |
大型の鹿嶋人形作成 |
横手市雄物川町沼館 |
鹿島送り |
7月第2日曜日 |
|
横手市雄物川町薄井 |
鹿島送り |
7月第2日曜日 |
|
羽後町高尾田 |
鹿島流し |
9月第2日曜日 |
竜神を川に流す |
由利本荘市東由利町館合 |
鹿島送り |
8月第2日曜日 |
五穀豊穣を祈願 |
1−3 −何故鹿島様なのか?
これも以外とよくある問題で、一般的には秋田藩主である佐竹氏が元々常陸(鹿島神社の元宮がある)を所領していたことが理由ではないかと言われています。ただし、佐竹氏は氏神である八幡神社を崇敬していたし、江戸時代に定められた領内12社の中には鹿島神社は選ばれていません。又、鹿島神社自体も県内では少数派と言っていもよいほど数は少ないと言えます。発生起源についても江戸時代の紀行家 菅江真澄がスケッチ等で記録を残しているのでそれ以前(一般的には最初は小型であったものがどんどん大型化する傾向があります。菅江真澄が描いたスケッチでは既に大きな藁人形が描かれています。)からの民俗信仰とは思いますが、江戸時代以前からだと佐竹氏が常陸から持ち込んだ説に説得力が失います。
1−3−2 −武甕槌神、古四王神社考
秋田市寺内にある古四王神社は秋田、山形、新潟に広がる古四王信仰の本社とされ、その主祭神が武甕槌神と大彦命とされています。武甕槌神は鹿島神社の主祭神と同様な為、古四王信仰が鹿島様の誕生に何らかな影響があったという説もあります。寺内にある古四王神社の創建は出羽の柵や秋田城などと同時代とされ、歴代秋田城介に庇護され、江戸時代には領内12社に数えら、明治時代に入っても唯一国幣社になっています。確かに秋田県では馴染み深い神社の1つで歴史性や県内の広がりも申し分ない神社に思います。しかし、詳しくは調べていませんが、下の表に見られるように主祭神が大彦命の方が多く本当に関係があったのかは疑問が残ります。
場 所 |
名 称 |
主 祭 神 |
備 考 |
能代市檜山 |
檜山神社 |
大彦命(越王) |
旧越王神社 |
秋田市寺内 |
古四王神社 |
大比古命(越王)・武甕槌神 |
國幣小社 |
大仙市大曲 |
古四王神社 |
大彦命(越王) |
本殿:国重要文化財 |
横手市植田 |
古四王神社 |
大彦命(越王)・小彦名命 |
本尊:多聞天立像 |
にかほ市象潟 |
古四王神社 |
甕速日神・武甕槌神 |
寺内の古四王堂を勧請 |
鹿角市八幡平 |
古四王神社 |
大毘古命(越王) |
− |
大仙市中里 |
古四王神社 |
小彦名命 |
− |
由利本荘市中館 |
古四王神社 |
大彦命(越王) |
− |
|