薬師神社(大仙市協和荒川)概要: 薬師神社が何時頃から祭られているのかは不詳ですが寛文12年(1672)には薬師堂山の山頂に鎮座していました。江戸時代の紀行家で民俗学の祖ととも言われる菅江真澄も当地を訪れ、真澄著の「月の出羽路」の中で「薬師堂日照山大権現」として挿絵が記載されています。社号から察すると往時は神仏習合し、薬師如来を本地仏として祭っていたと思われますが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され、改めて少彦名神、菊理媛神が祭神として勧請され薬師神社に社号を改めています。荒川集落は荒川鉱山と淀川を結ぶ街道沿いにあって、比較的にその恩恵にあった集落だったのではないかと想像出来ます。その為、社殿もかなり手の込んだ建物になっています。
現在の薬師神社社殿は明治32年(1899)に改築されたもので拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付。本殿は三間社入母屋造り、平入、正面1間向拝付。拝殿屋根の四隅には精巧に彫り上げられた力士像が鎮座し、正面の龍や獅子なども見事な出来映えだと思います。一段高いところに本殿があり、細かい彫刻はありませんが、逆に組物の力強さを感じます。薬師神社参道は国道が横切って雰囲気が壊されていますが、集落から3つの鳥居があり、境内に多くの境内社が鎮座するなど、周囲の信仰の対象になっていた事が窺えます。祭神:少彦名神、菊理媛神。
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