向野寺(湯沢市小野)

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概要・歴史・観光・見所
向野寺(湯沢市小野)概要: 案内板によると「小町の菩提寺と言われ、別当山の麓にあった寺です。その頃は小野寺とも言っていました。秋田六郡三十三観音の札所で、千手観音が祀られていました。いまは、向野寺と呼び寺町にありますが、小町晩年の自作とされる、木像の自像が安置されております。  湯沢市」とあります。

向野寺は平安時代初期の大同2年(807)に小野良実が京より天台宗の僧を勧請して創建したと伝えられています。群書類従によると小野良実は出羽郡司で小野小町の父親とされますが、正式な歴史書や一次資料でその名を見る事が出来ない事から明確に実在を証明する事は出来ません。少し下った貞観年間(859〜877年)には天台宗の高僧である慈覚大師円仁が向野寺に滞在し古文書を収集し小野小町の木像の胎内に収めたとの伝説が残されています。慈覚大師円仁は実在の人物ですが、東北地方だけで300余の寺院に伝説があり、到底全てに関わったとは思えません。秋田三十三観音札所は保昌房と教円禅師が長久年間(1040年頃)に開創したといわれ、向野寺はその7番札所に指定されています。

向野寺は元々は雄物川の対岸にあったとされ小野寺(こうやじ)と漢字は異なるのですが呼び方は同じだったそうです。向野寺は岩谷堂付近にあったそうなので、小野小町が岩谷堂ではなく向野寺に過ごしたとなれば、洞窟よりはかなり現実味のある話です。その後、現在地に境内を移し江戸時代に信翁院三世関室黙察大和尚により曹洞宗に改宗しています。江戸時代後期には紀行家で民俗学の祖とも言われる菅江真澄も向野寺を訪れており、小野小町像について記録しています。秋田三十三観音霊場第7番札所(御詠歌:言の葉の 種に残りて いにしへの あとなつかしき 小野の古さを)。山号:野中山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

向野寺:写真

向野寺
[ 付近地図:湯沢市雄勝町 ]・[ 湯沢市雄勝町横掘 ]


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