永源寺(男鹿市鵜木道村)

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概要・歴史・観光・見所
永源寺(男鹿市鵜木道村)概要: 永源寺の創建は室町時代末期の弘治元年(1555)に補陀寺から9世草庵守端を招いて開山したのが始まりとされます。ただし、境内からは康永4年(1345)に奉納された板碑(輝石安山岩、高さ148cm、幅57cm、厚さ28.5cm、キリーク(阿弥陀如来)、平成19年(2007)に男鹿市指定有形文化財に指定)が発見されている事から、少なくとも南北朝時代には前身寺院があったと推定されています。板碑を発見した大淵氏は中世の領主だった安東家家臣の後裔と伝わり、天明8年(1788)には松芭蕉が貞享2年(1685)に詠んだ「雲折々人を休むる月見かな」を板碑の裏側に刻み芭蕉句碑として現在地に建立しています。江戸時代後期の文化元年(1804)9月10日には江戸時代の紀行家で民俗学の祖とも言われる菅江真澄が永源寺を訪れ、板碑(芭蕉句碑)について記録しています。

永源寺本堂の建物は延宝年間(1673〜1681年)の火災後建てられたもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行9間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。永源寺山門は昭和57年(1982)に建てられたもので、切妻、銅板葺き、正面軒唐破風、一間一戸、薬医門、正面には「日向山」の山号額が掲げられています。永源寺は男鹿街道沿いの鵜木集落に建てられています。道路側の植栽と背後の山が一体化して様はとても奥ゆかしい感じを受けます。敷地はそれほど広くは有りませんが、開放的な雰囲気です。山門も威圧的なではなく暖かく迎えてくれ、境内はきちんと整備され清潔感が漂っています。秋田三十三観音札所第22番札所(御詠歌:松風や 大悲のみ声 そのまゝに 実り待たるゝ ま清水の里)。男鹿三十三観音霊場第30番札所。山号:日向山。宗派:曹洞宗。本尊:聖観世音菩薩。

永源寺:写真

永源寺(22番札所)
[付近地図:男鹿市鵜木道村]
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