道祖神とは道の神様のことで集落の境や三叉路、辻、橋の袂、坂の始まりや終わりなどに鎮座しています。ある意味、道路上の分岐点は我々が住んでいる一般領域とは異なる特異点として神聖視され、そこに道祖神という神様を配置することで、自分達の安全を確保したのではないでしょうか。自分達の安全を確保するという意味合いから様々な信仰と繋がり、集落から悪霊や疫病の侵入を防ぐだけでなく、道中安全や交通安全などの塞ノ神や猿田彦神、これと同様な意味合いの持つ庚申信仰や青面金剛が混合し、当時の交通手段だった馬を祀る馬頭観音、子孫繁栄や安産などを祈願する金勢様など多数の神様や信仰が重なり合っています。秋田県内でも多種多様な道祖神が見られ、道祖神神社や、個性ある塞ノ神行事なども残っています。
一言に道祖神と言っても様々な形態があり、ある意味地方色が濃く出る要素の1つだと思います。秋田県内にも多くの種類の道祖神があります。まず一番一般的なものに庚申塔があげられ、県内に幅広く分布しています。庚申塔は庚申信仰により発生したもので、暦で60で割りきれる年を庚申年と呼び、その度に講が行わます。その何年か毎に記念して石碑が建てられ「七庚申碑(更新年が7回毎)」などと彫られ奉納されます。庚申の祭神は神道では「猿田彦神」、仏教では「青面金剛」と云われ、猿田彦神は道を司る神とされている為、道祖神と同類とされてきました。このことより庚申塔は道祖神と同じ様に村境や辻、三叉路など交通の特異点に安置されるようになりました。秋田県内で特筆するとすれば東成瀬村の庚申塔です。各集落毎に安置されているのですが、この地域は特に庚申塔が巨大化しています。信仰の厚さはひと際強かった事が想像されます。当然、各集落が意識しあっていた結果かもしれません。庚申信仰は民俗信仰の基本的なもので秋田県全域で多く見られます。
地蔵堂は秋田県内でも特に、旧岩城亀田藩領内に多く見受けられます。旧岩城亀田藩は久保田藩の支藩のような存在でしたが、中世では由利12頭が支配すなど文化的には独立性の強い地域だと思われます。村境には庚申塔ではなく、地蔵堂が建てられていることから、庚申信仰ではなく地蔵信仰が盛んだった事が考えられます。又、岩城亀田藩には「赤田の大仏」を建立した是山和尚が領内に「折渡地蔵尊」、「由利長根地蔵」、「新波の一本杉地蔵」などにも尽力を尽くしたと云われ当時から信仰が厚かった事が容易に推察する事が出来ます。これらの地蔵堂の中には通常のお地蔵様だけでなく、自然石から掘り込まれた、3体のお地蔵様(庚申信仰では申は猿と同義とされ「見ざる、言わざる、聞かざる」の3体の猿を彫った庚申塔を奉納される例は多い。)や、男女と思われる2体のお地蔵様(双体道祖神などと言われ特に信州地方に多く道祖神は男女神や縁結びの神などの理由から男女2体の仏が掘り込まれています。)などがある事から、道祖神と地蔵信仰の混交したものと考えられます。
塞ノ神は猿田彦神と同一視され、悪霊や疫病を集落内に進入しないよう防ぐ神様として道祖神と習合しました。庚申塔などと同様に集落境や三叉路などの特異点に安置されています。地域によって呼び方が微妙に異なり、「塞ノ神」、「塞の神」、「塞三柱」、「塞三柱大神」、「塞神」、「才の神」などと呼ばれています。秋田県内には小正月(1月15日)に塞ノ神関連の行事も多く残っていて信仰の厚さを示しています。特に「ドント祭(火祭りで藁などを燃やす行事。)」は秋田県が最北の地とされています。ここで藁と塞ノ神がどう結び付くのかは分かりませんが、明らかに神聖視されています。注連縄や「なまはげ」などの衣装にも藁が使用され、特になまはげの行事が終わると、神社や大木などにその衣装が結ばれる事からも何らかな縁起があるものかと思われます。人形道祖神は藁で構成されている例が多く塞ノ神と何か関係があるのかも知れません。秋田県内の旧中仙町や旧太田町、旧千畑町には明らかに人形道祖神と塞ノ神が混交している例が見られます。集落境に安置された石碑には「塞三柱大神」と書かれ、その頭上に仁王面(草仁王面)がぶら下がっています。
猿田彦神は前にも述べたように、道を司る神様ですから道祖神としてはある意味正当だと思うのですが、秋田県内にはその数は比較的少ないと思われます。当然風化して字が読めない場合もありますが、県内では一般的ではなかったのかも知れません。写真は由利本荘市の旧矢島街道沿いにあるものですが、旧岩城亀田藩の隣の旧本荘藩の領内のせいか、お地蔵様と庚申塔が並んで祀られている場面を多く見ました。ここでははっきりと猿田彦大神の文字が見受けられます。年号も文化年間のものですから、江戸時代後期のものです。隣接する石碑は文字も見えませんがさらに古いものと思われます。古い街道沿いにはこうした道祖神が旅人の安全を見守っていたのでしょう。
馬頭観音は馬の守護神として古来より広く信仰されている神様です。観音様の変化変身とも云われ6観音の一つにも数えられています。当時は馬が交通に深く関わっていたいた事からも道祖神と混交していったのではないでしょうか。集落境に庚申塔などと一緒に祭られているところは秋田県内でも良く見かけます。本来ならば馬を頭の上に掲げた石仏なのですが秋田県内にはそのような石仏は少なく、写真で見られるような文字が彫りこまれているものがほとんどです。秋田県北部の大間越街道沿いでは相添様と称して馬頭観音を祭っている集落を良く見かけます。
青面金剛は庚申講の主尊とされています。その為秋田県内でも庚申塔の傍らで青面金剛が鎮座する構成は秋田県内でも広く分布します。当然青面金剛も道祖神の1つだと言えます。一般的には1つの面に6本の腕を持つ阿修羅の様な姿で、足元に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像が掘り込まれています。全国的に見れば三猿像だけでなく、二鳥や邪鬼、日月などがあり地域によって差があるようです。写真の青面金剛は秋田市の高尾山の麓にあります。かなり風化していますが、青面金剛の下に三猿がいます。庚申講には人間の中に三尸(さんし)の虫がいてその人の悪さを天帝に知らせるという信仰があります。三猿には余計な事を「見ざる、言わざる、聞かざる」の理から青面金剛と混交していったのではないでしょうか?
道祖神はその由来から夫婦や男女を模ったものも多く、その種の際立った形として金勢様(金精様)があります。基本的に金勢様(金精様)は男根の形をしたものが多く、自然石や石や木を男根状に加工したものなど形や大きななど多くのバリエーションがあります。これは全国的に見られるもので秋田県内でも広く信仰されています。祠や神社の御神体にしている場合も多く把握するのは少し大変かも知れません。当然地域によって傾向が偏ることは想像出来ますがここでは数例を揚げるに留めます。まず一番右側の写真は旧南外村に残るものですが、一般的にショウキ様と呼ばれているます。 男根は当時は木製でしたが新しく石製にしました。隣の祠には仁王面が祭られショウキ様が男神に対し女神だそうです。 次の写真は旧稲川町の神社の境内に祭られているもので石製です。 周囲には鹿島信仰が残っている地域で他にも数箇所で見られます。左側は横手市の吉田集落に見られた金勢様で、集落境にあり他の道祖神達と一緒に奉納されています。
道切りとは集落境で悪霊や疫病を防ぐと考えられるもので、大きい意味では道祖神と同義と言えます。ただ一般的には注連縄などで道を仕切るようにする事を指しています。全国的に見ると蛇や御幣など地域によって様々で個性ある道切りが見られます。現在の秋田県ではあまり道切りは見られません。旧東由利町に藁で蛇を模ったものが例外でほとんどが写真で見られるよう、道の両脇の電信柱などを利用したもので太い縄を張り、細い縄が暖簾状にぶら下がっています。写真の道切りは湯沢市の三梨町に見られるものですが、道切りの下の人形道祖神が変形したと思われる小型の鹿島様が祭られています。道祖神と道切りの関係を示しているもので貴重なものだと思います。