湯沢市:稲庭町
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概要・歴史・観光・見所
湯沢市稲庭町概要:
稲庭町は小安街道沿いにある
集落
ですが、中世は雄勝地方を支配した小野寺氏の本城がある
城下町
でした。小野寺氏は本城を沼館城に移したものの重要拠点の1つでしたが、関が原の戦いの折、小野寺氏は西軍に付いた為、最上氏に攻め込まれ稲庭城は落城しました。現在でも小野寺氏の縁の史跡が多く、静かな
町並み
が続いています。江戸時代には稲庭うどんが藩主に献上される等うどんの町として有名になりました。
稲庭町:町並み・写真
十文字
増田
戸波
三梨
川連
稲庭
小安峡温泉
稲庭城
案内板によると「
稲庭城
(鶴ヶ城、早坂館)は鎌倉時代の初期から約400年の間県南の雄、小野寺氏の居城であった所でこの碑はよくその由来を伝えている。二の丸(下館)まで遊歩道が完成したので登る事が出来る。尚2の丸跡には今昔館や古碑、夫婦松があり眺望も素晴らしい。」とあります。
広沢寺
広沢寺
は案内板によると「・・・・(前略)広沢寺は当時の稲庭城主小野寺弥太郎道広が檀郡寺開基となり現在地に開基した。長禄3年(1459年)本堂の裏に道広の墓石が苔生し各字が破蝕しているが現存している。」とあります。創建は慈覚大師とも云われる古寺で県南の雄小野寺氏の縁の寺院にふさわしい広大なものです。現在の本堂は寛政元年(1789)に建てられたものでかなり赴きがある建物です。鐘楼門は4脚門で入母屋の屋根で構成されています。規模はあまり大きくはありませんが柱などもかなり太材を使っており重厚な印象を受けます。
善龍寺
善龍寺
の創建は長禄3年(1459)とされます。その後は県南を支配していた小野寺氏と結び付きが強く、香花所となりました。江戸時代になると小野寺氏は改易されるなどした為、天徳寺の末寺になり現地に移りました。現在の
楼門
は平成元年(1989)に建替えられたもので、4脚門です。屋根は入母屋でかなり重厚な印象を受ける建物です。本堂の方も平成8年に改築され建物としては比較的新しいといえます。小野寺晴道の念持仏である観音像が現在も本尊として安置されています。
町屋
湯沢市稲庭町にある
商家建築(町屋)
です。2階部分が7間あり、そこだけ見ると切妻妻入り形式では秋田県内最大級といえます。秋田県の町屋は切妻妻入り形式が多い為、間口が広くなるとどうしても屋根の高さが高くなる傾向があります。一般的な町屋では4間〜5間ぐらいですからひとまわり大きいと言えます。他の町屋と写真を見比べると分かり易いのですがこの建物の屋根の勾配が若干緩く建物の高さが低く抑えられているのが分かります。建築年代は特定出来ませんでしたが、1階軒先には細かい意匠が施されていたり、2階の戸袋などはかなり意識してデザインされています。玄関は雪が直接落ちてこないよう1階下屋との勾配を逆にして、意匠を替える事で正面性(玄関としての格式)を出しています。小安街道では増田町を越えると当時からの町屋が大分少なくなってきました。出来れば長く保存してもらいたい建物の1つです。
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