(1) 古代城柵
秋田県内には奈良、平安時代に蝦夷攻略の拠点として幾つかの古代城柵が設けられました。秋田城などは一時期国府が置かれるなどかなり大規模な施設だったのですが、蝦夷への最前線だった事もあり、何度も戦場の舞台にもなっています。由利柵や雄勝城、渟代柵などは文献には出てくるものの位置は特定されておらず、いずれも推定地となっています。払田の柵は逆に遺跡として発掘され、秋田城にも匹敵する施設だと分かってきました。しかし、文献にはまったく出てきておらず、諸説が入り乱れている謎の多い遺跡です。
古代城柵が築かれた歴史的背景
西暦 |
事 項 |
備 考 |
733 |
現、高清水の岡へ出羽柵が築かれる。 |
事実上国府が移される。 |
758 |
雄勝城が築かれる。 |
築城場所不明。 |
775 |
出羽柵(山形県)へ国府を移す。 |
情勢が不安定、国府を堅持出来ず。 |
780 |
秋田城介を置き、秋田城、由利柵堅持。 |
由利柵場所不明。 |
同 |
雄勝、平鹿郡が賊に侵される。 |
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783 |
雄勝、平鹿郡に郡府を再建。 |
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804 |
秋田城制から秋田郡制へ移行 |
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878 |
元慶の乱、俘囚が秋田城強襲。 |
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939 |
天慶の乱、俘囚が秋田城強襲。 |
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