(3) 平山城
戦国時代末期になると戦略的要素に加え領国経営も必須事項となってきます。兵農分離も進み家臣が城郭近郊に住み経済活動も活発になり、城下町建設が必要となってきます。その為、山城では城郭と城下町の関係が希薄の事から、平地に近い丘形状の地形が城郭建設地に選ばれました。城郭は本丸を中心に同心円状に郭を配置し、水掘りや枡形など巧みに使い分け、迷路のような構造になっています。城下町も城郭に近い所に家臣団を配置し、その外側に商人町をまとめ、防御的に希薄な部分などには寺院を配置し、出城のように機能していました。全国的に見れば、この時期に高い石垣や天守閣などの建物が建てられましたが秋田県内では中世の山城の延長のような部分も多く、一部を除いてそれらが築かれることはありませんでした。
江戸時代における秋田県の情勢
藩 名 |
氏 姓 |
本 城 |
備 考 |
秋田藩 |
佐竹氏 |
久保田城 |
20万5千石、関ヶ原で中立、常陸54万石より転封 |
本荘藩 |
六郷氏 |
本荘城 |
2万石、関ヶ原で東軍、常陸国府中より転封 |
亀田藩 |
岩城氏 |
亀田陣屋 |
2万石、関ヶ原で佐竹氏に従う、川中島より転封 |
矢島藩 |
生駒氏 |
矢島陣屋 |
8千石、お家騒動で讃岐17万石より転封 |
仁賀保領 |
仁賀保氏 |
塩越城 |
関ヶ原の戦い東軍、1万石から後、2+1千石 |
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