龍源寺(由利本荘市矢島町)

秋田WEB観光案内所(ホーム)大名菩提寺お祭り温泉渓谷宿泊鳥海山:観光・見所

概要・歴史・観光・見所
龍源寺(由利本荘市矢島町)概要: 龍源寺は生駒(矢島)藩主生駒家の菩提寺です。創建は元和9年(1623)で江戸時代初頭、矢島を領していた打越氏が長国寺(茨城県潮来市)の白峰廣椿和尚を招いて開かれたのが始まりとされます。打越氏は旧由利郡打越を本貫とした氏族で、戦国時代は由利十二頭の一角として一定の勢力があり一族と思われる仁賀保氏に従っていました。天正18年(1590)の太閤検地により領主として認められ、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでも東軍として行動した為、慶長7年(1602)には常陸國行方郡新宮2千石で移封となっています。その後、由利郡は最上領となっていましたが、元和8年(1622)に最上騒動により改易となり、元和9年(1623)に打越左近光隆が旧領に近い矢島領3千石の領主として入封し菩提寺となる龍源寺を創建しました。

しかし、2代打越光久が寛永11年(1634)に没すると後継ぎがいなかった為に断絶、寛永17年(1640)に生駒家がお家騒動の為、四国の高松17万石から1万石に減封され矢島に入ると龍源寺を菩提寺としました。龍源寺は領主の菩提寺、領内曹洞宗寺院の僧録所として寺運が隆盛しましたが、江戸時代末期の戊辰戦争の際、生駒家が新政府方に与した為、奥羽越列藩同盟に調印した庄内藩の侵攻を受け、その兵火により堂宇が焼失しています。

現在の龍源寺建物(本堂)は明治13年(1880)に建てられたもので木造平屋建て、寄棟、平入、桁行24m、梁間16m、茅葺屋根の重厚な造りで、一瞬目を引き付けられます。特に正面入り口屋根はかなり前まで張り出してきていて格式の高さを象徴しているような印象を受けました。龍源寺本堂は明治時代初期の大型寺院本堂建築の遺構として貴重で、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成16年(2004)に国登録有形文化財に登録されています。敷地内には生駒家のお墓があります。質素ですが矢島の歴史をとても重く感じる事が出来ます。又、矢島領三十三観音霊場二番札所となっています。山号:金嶺山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

龍源寺:写真

龍源寺
[ 付近地図: 由利本荘市矢島町 ]・[ 矢島フィールドワーク ]
龍源寺 龍源寺 龍源寺 龍源寺


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「秋田県WEB観光案内所」は「秋田の歴史」、「羽州街道をゆく」、「秋田市歴史地図」、「あきた滝300」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、「秋田のお寺」、「秋田の神社と神々」、「歴史道路報告書」、「佐竹氏と久保田城」、「秋田の温泉」を参考にさせていただいています。