永伝寺(由利本荘市岩谷麓)概要: 永伝寺の創建は室町時代の応永12年(1405)に現在の岩手県水沢江刺の曹洞宗の寺院、正法寺の直末寺として由利十二頭の一人である岩屋氏が開基となったとも云われています。ただし、岩屋氏は応仁元年(1467)に信濃国(現在の長野県)から入封したとも云われている事から創建者ではないのかも知れませし、応永12年(1405)以前に既に入封していたのかも知れません。
岩屋氏の元々の祖先は信濃国守護小笠原家一族大井氏の庶流とも云われ、由利十二頭の一角として室町時代から戦国時代にかけて当地を支配し、天正18年(1590)の太閤検地では891石が安堵されています。慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いでは東軍の最上家に従い出羽合戦に参陣した功により、最上家家臣団に込み込まれたものの2千4百石に加増されています。しかし、元和8年(1622)最上家がお家騒動の為改易されると岩谷氏も連座した為、没落の憂いにあっています(一族は秋田氏や佐竹氏、六郷氏に仕えた)。
永伝寺では現在でも岩谷氏の居館である岩谷館跡山麓に安置されている岩屋朝繁の墓碑を現在まで手厚く管理し関係性が窺えます。又、何度か火災があったそうで、現在の永伝寺本堂の建物は文化8年(1811)のものをベースとしたもので、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。亀田領三十三観音霊場第6番札所でもあり周囲から信仰され、本尊は釈迦如来像は中世を下らない歴史を持っているとされています。山号:岩松山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
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