白馬寺(秋田市手形)概要: 白馬寺の創建には諸説あるそうですが、一般的には天正元年(1573)に当時の佐竹東家当主の佐竹義久が始祖である政義を開基として開いたのが始まりとされています。戦国時代、義久は本家である佐竹義重に追従し特に奥羽方面で戦功を上げ一族の重鎮として扱われていました。石田三成を通じて豊臣秀吉にも庇護され、その名代として6万石の大名として取り立てられ、関が原の合戦では本家は東西中立を保ったものの自らが300騎を引き連れ、徳川秀忠に従軍し、上田城攻めに加わっています。佐竹家本家は形式上軍令違反を咎められ(会津上杉家との密約が露呈したとも)、秋田(久保田)へ減封となり、東家もそれに追従しました。白馬寺は創建時にあった常陸太田に残し、菩提所を久保田城の北西にある手形に慶長11年(1606)に新たに創建、寺院の名称をそのまま引き継ぎ、佐竹東家から寺領130石寄進されています。
現在の白馬寺本堂は元禄年間(1688〜1704年)の火災で焼失後、享保11年(1726)に再建された古建築で、木造平屋建て、寄棟、平入、桁行8間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、秋田市内では多くの社寺が火災で焼失した為、大変貴重な建物です。境内には佐竹東家の墓碑や幕末に造立された大きな地蔵菩薩が安置されています。山号:経来山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
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