常光院(仙北市角館町)概要: 久米山常光院の創建は寛正元年(1460)、佐竹北家の祖とされる佐竹義信が要山玄的を召還し常陸国久慈郡金砂郷村に開山、歴代の菩提寺としたのが始まりとされます。佐竹義信は佐竹家14代当主佐竹義治の4男で、当時の佐竹家宗家の居城である太田城(茨城県常陸太田市)の北方にある久米城の城主だった事から「北殿」と呼ばれるようになり後裔は佐竹北家として宗家の重臣として重きをおきました。慶長5年(1600)の関が原の戦いで佐竹家は東西中立だった為、慶長7年(1602)に久保田藩(出羽国6郡)に移封となり、佐竹北家義廉も宗家に随行し仙北郡長野(大仙市)に配され、常光院も常陸の常光院6世任山良運を招いて開山し寺領100石が安堵されています。
承応2年(1653)、角館の領主だった芦名家が断絶すると佐竹北家が角館所預として角館に赴任、しかし、菩提寺である常光院は長野に留まりました。元文4年(1734)に火災により常光院が焼失、これを機に角館移転が検討され明和2年(1765)に本堂が竣工した事で正式に角館西勝楽町に境内を移し寺町を形成しました。戊辰戦争の際、久保田藩は比較的早い段階で奥羽越列藩同盟を離れ新政府軍に与した為、奥羽諸藩と戦う事となり、常光院は戦時病院の役割を担いました。角館戦線では大村藩7名、平戸藩7名、長州藩1名、薩摩藩1名の合計16名が犠牲となり、大村藩を除く9名が常光院の境内に葬られています。
現在の常光院本堂はその当時のもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行10間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え、江戸時代中期の寺院本堂建築の遺構として貴重な事から昭和52年(1977)に仙北市(旧角館町)指定史跡に指定されています。又、秋田三十三観音霊場の12番札所で、境内には戊辰戦争の戦死した官軍墓地や佐竹北家の墓所があります。境内がある角館町は現在でも古い町並みが残り国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。山号:久米山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
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