正洞院(秋田市手形)概要: 正洞院跡は秋田大学の裏手の路地にあり、平田篤胤の墓に隣接しています。案内板によると「佐竹義宣の正室 正洞院は、下野国(栃木県)烏山城主・那須資胤(8万石)の三女に生まれ、戦国時代の天正13年(1585)19歳のとき、16歳の義宣と政略結婚をした。しかし、結婚生活わずか5年、彼女は24歳にして謎の自害を遂げこの世を去った。秀吉から家康へと移り変わる時流のなかで、戦国武将の正室たる面目をもって、佐竹家のため尊い生命を捧げたのである。後年に夫君の義宣は、彼女の墓を常陸国の耕山寺(茨城県常陸太田市)から現在地に遷し、江戸(上野)と久保田(秋田)の両地に広沢山正洞院の寺院を建立し、悲運の彼女の霊を鄭重に弔い追善供養をなした。」とあります。正洞院は明治に入ると廃寺となり、境内跡には無縁仏と思われる墓碑が数多く見られます。又、入り口付近には弁財天の跡もあり、案内板には「弁才天の本尊は、弘法大師の一万座護摩秘密の灰で造られた弁財天像で、大師の手の形が押されていたことから、この地のことを手形と呼んだという伝承もある。」とあります。
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