岩城館(秋田市下新城)概要: 案内板によると「岩城館は南北朝時代(1345〜49年頃)に築かれた。戦国時代には湊合戦に湊安東方として参戦した岩城氏が館主であった。また隣接する福城寺には岩城氏の秘仏、虚空蔵菩薩や約300年間の古過去帳が現存し、市の文化財指定となっている。」とあります。主郭までは新城神社の参道がある為、比較的登り易いです。土塁の形状は良く分かりませんでしたが、郭の形状は良く残っていて空堀なども見られます。現在、主郭はかなり整備され太平山碑があり一段下がった郭に新城神社が鎮座しています。眺望もかなり良くこの周辺を治めるのには最適な場所だったと思われます。前面には新城川が流れており防衛的にも堅固だったのではないでしょうか?
岩城館は安倍貞任の後裔を自称する新城(岩城)右衛門太夫安信が南北朝時代の貞和年間(1345〜1350年)に築かれたのが始まりとされます。新城(岩城)氏は祖に安倍貞任を掲げているところを見ると安東氏の一族だった事が窺えます。館の麓に境内を構えている福城寺は同じく貞和年間(1345〜1350年)に新城(岩城)右衛門太夫安信が開基となり、光巌和尚を招いて開山したとの由来を持ち、安信の戒名として「福城寺殿剛山宗光大禅定門」が与えられています。その後、岩城氏が城主を歴任しましたが、戦国時代には佐藤出羽守綱吉が城主となり弘治3年(1557)に安東愛季に攻められ岩城館は落城したとされます。その後、岩城氏一族と思われる岩城右衛門太夫康信が城主に復権し、天正16年(1588)に跡を継いだ岩城半次郎が湊安東氏方に与した為、檜山安東実季に粛清され再び岩城館は落城したそうです。
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