椿台城(秋田市雄和)概要: 案内板によると「ここ椿台に、慶応4年(明治元年・1868)3月秋田藩12代藩主佐竹義尭は、江戸住まいの佐竹史家壱岐守義ェ(2万石)に城郭を築かせ、秋田支藩の城下町を建設させた。義ェは80人余りの家臣とともに移住したといわれる。しかし、建設なかばにして戊辰戦争が起こり、ここは秋田藩防衛の拠点となり、9月、付近一帯は戦場と化した。戊辰戦争が終結した翌年、義ェが隠居し、義理が城を継いだ。しかしそれもつかのま、義理は雄勝郡岩崎(現湯沢市)に移住して岩崎藩主となり、明治4年7月には廃藩置県を迎える。椿台城はわずか2年にも満たないうちに、明治3年(1870)廃城の運命となった。家臣団は藩主に同行し、内町外町約300戸と伝えられる城下町建設は一朝の夢と化したのである。現在は土塁の1部が残るのみである。」とあります。現在、椿台城もその城下町もゴルフ場となり見る影はありませんが、程近い戸島集落に境内を構える満蔵寺は佐竹義ェの菩提寺として墓碑が建立されています。
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