雲崎館(秋田市浜田)

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概要・歴史・観光・見所
雲崎館(秋田市浜田)概要: 雲崎館は中世の城郭で湊安東氏の支配下にあった小野筑後守の居城です。小野氏は文治5年(1189)に発生した奥州合戦の功で出羽国小鹿島(現在の秋田県男鹿市)の地頭に就任した橘公業(小鹿島公業)の一族とされ、嘉祥4年(1238)には公業の11男である橘公員が秋田郡の楊田、豊巻、百三段(雲崎館のある浜田・新屋・石田坂)、男鹿半島にある滝河、磯分、大嶋が与えらている事から橘公員の系統なのかも知れません。ただし、公業、公員共に直接秋田に下向し采配した形跡が見られない事から一族が地頭代として赴任した可能性が高く、小野氏が橘家縁の氏族であったとしてもかなり遠い庶流だったと思われます。

しかし、鎌倉時代中期から後期にかけて橘氏は秋田の地を離れ九州に遷っている事から小野氏は百三段地区に土着し土豪として当地域を支配し、室町時代に湊安東氏の南下に伴い、安東氏に従うと同時に本領8千石を安堵されたと思われます。明応年間(1492〜1501)由利十二頭の一人赤尾津光善に攻められ雲崎館は落城、江戸時代初期の小野氏の後裔と思われる小野筑後守金助守就は赤尾津氏の遺臣と記されている為、小野氏は赤尾津氏に下り家臣になったと思われます。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの結果、由利郡は最上領に組み込まれ雲崎館は最上家家臣である楯岡満茂、後に原田河内守光俊の管理下に入っています。

※由利本荘市史で資料として掲載されている系図では赤尾津光善は存在しません。※天正年間(1573〜1593年)の当主である小介川(赤尾津)治部少輔は豊臣秀吉の時世、軍役から逆算すると概ね4千5百石前後の領主である事から小野家8千石を吸収したとすれば計算が合いません。江戸時代の百三段の石高は600〜700石程の為、小野氏の所領は800石の間違いかも知れません。※資料(書籍)によっては小野筑後守が文禄年間(1593〜1596年)に雲崎城を築城し赤尾津光善に攻められ新屋に逃れたとありますが、当時の当主は小介川(赤尾津)治部少輔で安東氏(秋田氏)とは蜜月関係にあった為、もし、小野氏が安東氏の家臣とすれば攻める必要性は全くありません。ましてや惣撫事令により、私闘は禁止されており、改易のリスクを冒す理由は無いと思われます。

一方、小野筑後守橘條が菩提寺と思われる光龍寺(現在の天竜寺)を文禄4年(1595)に創建し、小介川(赤尾津)治部少輔と同一人物と思われる「大井治部少輔源光長」が雲崎城の近くの日吉神社に神像を奉納しています。さらに、新屋に境内を構える忠専寺に伝わる伝説によると小野筑後守正行の母親は忠専比丘尼と称していましたが、溺死した為、正行は彼女が住していた草庵の跡に菩提を弔う為一宇を設けたものの小野家が没落した為、寺跡が無くなったと伝えられています。

以上の事を鑑みれば、室町時代に安東氏の家臣だった小野氏によって築かれた雲崎城は赤尾津氏一族によって明応年間(1492〜1501)攻め落とされた。小野氏は赤尾津氏の家臣となり当地を一旦離れた事で母親の菩提寺である忠専寺は衰退。文禄年間(1593〜1596年)に改めて百三段地区の支配を認められた事で雲崎城の修築や改修が行われ、文禄4年(1595)に菩提寺である光龍寺(現在の天竜寺)を創建したのではないでしょうか?小野氏は赤尾津氏が没落した際に当地に帰農し土着したようで日吉神社や光龍寺(現在の天竜寺)の発展に尽力しています。

元和8年(1622)に最上家が御家騒動により改易になると一旦本荘藩領(本多正純)となり、話し合いにより領土交換が成立し久保田藩領となっています。この地は秋田郡と由利郡の郡境であり、軍事上重要拠点の1つと考えられ、久保田藩主佐竹氏は是が非でも自領にしたかったと思われます。ただし、「一国一城令」により雲崎館は破棄されます。城跡は現大森山兵稜の東側に向かって張り出した舌状台地一帯と見られ、思った以上に大きな館です。現在、本丸と見られる郭には稲荷神社が鎮座しています。空堀と見られる遺構も見られるのですが案内板なども無く、関心の無い人には館跡とは思わないかも知れません。

雲崎館:写真

雲崎館
[ 付近地図:秋田市浜田館の丸 ]・[ 秋田市:新屋 ]
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