玉米館(米本館)概要: 玉米館は中世、由利地方を支配した由利十二頭の1人玉米氏の本城でした。築城年は不詳ですが、資料的な価値の薄いとされる「由利十二頭記」によれば、由利十二頭は応仁元年(1467)に由利郡に入部した事が記載されている事から、概ね応仁年間(1467〜1469年)に築かれたという説を採用している人が多いようです。領地が接している山田氏や矢島氏(大井氏)とは対立関係だった事から度々戦が行われ、勢力が大きかった小野寺氏と仁賀保氏とは比較的良好な関係だったようです。天正18年(1590)に豊臣秀吉による奥州仕置きでは単独での玉米氏の名前は無く、領主としては既に没落していたと考えられ、一方豊臣家家臣大谷吉継が小野寺氏に発布した「仙北之内上浦郡指出目録」には家臣として「玉米半三郎」の名が見られる事から小野寺家に従属していたとも推察されます(一方、慶長3年:1598年に下村氏と玉米氏の遺臣が一揆を起こし鎮圧されたとの説もあります)。慶長6年(1601)に小野寺家が没落すると帰農したようで、寛永8年(1631)には玉米館がある館合に菩提寺となる泉秀寺を創建、現在は老方に移転したものの境内には玉米氏のものと思われる墓碑が建立されています。
土塁などの遺構は見当たりませんでしたが、西側に高さ20mほどの断崖を持つ要害の平山城です。館合は本荘街道沿いにある集落ですが、田代方面に行く道と矢島の大水口を結ぶ玉米街道の結束点で交通の要所でした。現在は主郭と思われる部分に八塩小学校と大物忌神社が鎮座しています。
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