2 −仁王面タイプ
人形道祖神は明治維新を迎え多くが消滅の危機にさらされました。道路の拡幅で居場所を失い、中央から派遣された役人などからはかなり嫌がられ、禁止令まで出され、その多くが焼かれたと聞きます。又、製作にはかなりの手間がかかる為、徐々に姿を消していったと思われます。そうした中この仁王面タイプは元々大型で木面を着けた鹿島様タイプBの変形した形だと考えられます。上記の理由から人形道祖神の製作が出来なくなり、せめてお面だけはお祭りしたいという住民の願いからこうした仁王面タイプが生まれたのではないでしょうか?又、仁王面タイプは3つのタイプが存在し「塞三柱」の石碑と一緒の仁王面タイプAと男根と一緒の仁王面タイプBと単独の仁王面タイプCに分けられます。
1−仁王面タイプA |
−「塞三柱」の石碑と共に鎮座 |
−中央山間地域、旧太田、中仙町 |
2−仁王面タイプB |
−仁王面と共に男根が奉納 |
−中央山間地域、旧南外村 |
3−仁王面タイプC |
−基本的に仁王面単独 |
−中央山間地域、旧角館、田沢湖町 |
仁王面タイプAは特に旧太田と中仙町の一部に多く「塞三柱」又は「塞三柱大神」と刻まれた石柱と共に鎮座し、人形道祖神が塞の神と同義と捉えていたと思われます。仁王面タイプBは旧南外村に見られる形態で仁王面を鍾馗面あるいは鍾馗様と呼んでいます。当時は複数の木製男根が一緒に奉納され男根が男神、鍾馗面が女神として祀られていたそうです。現在ではその風習も少なくなり、荒沢集落など一部で見る事ができます。仁王面タイプCは単独で祭られていて、旧中仙町から角館、田沢湖町で見られます。
|