建築力士像の建物における配置と地域性の考察
(1) 隅木支え型集計
(1) 南部沿岸− 1箇所 − 1/31*100= 3.23%
(2) 南部山間−18箇所 −18/31*100=58.06%
(3) 中央沿岸− 9箇所 −9/31*100=29.03%
(4) 中央山間− 3箇所 − 3/31*100= 9.68%
(5) 北部沿岸− 0箇所 − 0/31*100= 0. %
(6) 北部山間− 0箇所 − 0/31*100= 0. %
調査総数−44箇所 隅木支え型総数−31箇所 31/44*100=70.45%
集計結果より考察
以上の結果より力士像は秋田県内で隅木支え型が70.45%を占めていることが分かった。この形式が一般的で中でも南部山間地域が58.06%と占め次いで中央沿岸が29.03%となっている。中央沿岸部でも旧河辺郡周辺地域に集中し、中央山間でも雄物川流域にあることからも文化的繋がりが強いことが推察できます。隅木支え型は秋田県南部山間部を中心に発展し雄物川沿いに波及していったのではないでしょうか?南部山間地域では20件中18件が隅木支え型で残りの2件も複合型で隅木に力士像が安置しています。そのことからもこの地域での神社(ある程度の規模以上)の隅木には力士像があることがあることが半ば定番化(スタイル化)していたと考えられます。
(2) 蝦虹梁鎮座型集計
(1) 南部沿岸− 6箇所 − 6/6*100=100.00%
(2) 南部山間− 0箇所 − 0/6*100= 0. %
(3) 中央沿岸− 0箇所 − 0/6*100= 0. %
(4) 中央山間− 0箇所 − 0/6*100= 0. %
(5) 北部沿岸− 0箇所 − 0/6*100= 0. %
(6) 北部山間− 0箇所 − 0/6*100= 0. %
調査総数−44箇所 蝦虹梁鎮座型総数−6箇所 6/44*100=13.64%
蝦虹梁鎮座型集計結果より考察
以上の結果より蝦虹梁鎮座型総数は力士像がある社寺全体の中で13.64%を占めています。隅木支え型に比べると比率は小さいのですが、ある程度の数量があり、1つのスタイルとして確立していると考えられます。又、蝦虹梁の上には複合型の横手市の稲荷神社と男鹿市の小深見神明社以外、単独であるのは全て秋田県南部沿岸地域に集中しています。このことから、当時の六郷藩、亀田藩、矢島藩などと秋田藩(久保田藩)との建築文化に差異を感じます。力士に対する意味も異なる事も考えられます。隅木支え型は四方を守る四神、蝦虹梁鎮座型や蛙股鎮座型は仁王像や金剛力士像と同様、参道からの侵入者から守護するといった意味合いを持っていたのではないでしょうか。いづれにしても文化の交流が現在よりは数段に低かったこが影響していると思います。
(3) 蛙股鎮座型集計
(1) 南部沿岸− 0箇所 − 1/4*100=25. %
(2) 南部山間− 0箇所 − 0/4*100= 0. %
(3) 中央沿岸− 0箇所 − 0/4*100= 0. %
(4) 中央山間− 3箇所 − 3/4*100=75.00%
(5) 北部沿岸− 0箇所 − 0/4*100= 0. %
(6) 北部山間− 0箇所 − 0/4*100= 0. %
調査総数−44箇所 蛙股鎮座型総数−3箇所 3/44*100= 6.82%
蛙股鎮座型集計結果より考察
絶対数が少ない為、確かな事は言えませんが蛙股鎮座型は秋田県中央山間地域に集中しています。特にその全てが、雄物川沿いではなく玉川沿いにある事も気になります。又、他の力士像が神社にあるのに対し、ここでは3件中2件は寺院にあり、又、3件中2件が山門にあります。これが単なる偶然かどうかはサンプル数が少ないので今後の調査次第では異なる結果があるかも知れません。
(4) 複合型集計
(1) 南部沿岸− 2箇所 − 2/3*100=66.67%
(2) 南部山間− 0箇所 − 0/3*100= 0. %
(3) 中央沿岸− 1箇所 − 1/3*100= 0. %
(4) 中央山間− 0箇所 − 0/3*100=100.0%
(5) 北部沿岸− 0箇所 − 0/3*100= 0. %
(6) 北部山間− 0箇所 − 0/3*100= 0. %
調査総数−44箇所 複合型総数−3箇所 3/44*100= 6.82%
複合型集計結果より考察
複合型もサンプル数が少ない為、今回の結果では地域性などを読み取ることが出来ません。今後の調査次第では全く異なる結果が出てくるかも知れませが、その時々の情勢(金銭面)や大工の棟梁、氏子の数や信仰の広がりなど様々なことが考えられます。複合型の社殿はどれも建築彫刻が素晴らしい事は言うまでもありません。
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